「ジェフリー・ゴールドストーン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ページ「Jeffrey Goldstone」の翻訳により作成
 
4行目:
 
== 経歴 ==
Manchester Grammar Schoolと[[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|トリニティ・カレッジ]]で教育を受けた(B.A. 1954年、Ph.D. 1958年)。[[ハンス・ベーテ]]の指導の下、核物質の理論を研究し、現在ゴールドストーン・ダイアグラムと呼ばれている非相対論的多いフェルミオン系のためのファインマン・ダイアグラムの修正版を考案した<ref name="Atomic Many-Body Theory">{{Cite book|last=Lindgren I. & Morrison J.|author=Lindgren I. & Morrison J.|title=Atomic Many-Body Theory|edition=2nd|year=1986|publisher=Springer-Verlag|isbn=0-387-10504-2|page=215}}</ref>
 
1956年から1960年まで[[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|ケンブリッジのトリニティ・カレッジ]]のリサーチフェローであり、コペンハーゲン大学、[[欧州原子核研究機構|CERN]]、ハーバード大学で客員研究員を務めた。この間に研究の焦点を粒子物理学に移し、自発的に壊れた対称性を持つ相対論的場の理論の性質を研究した。[[アブドゥッサラーム]]と[[スティーヴン・ワインバーグ]]とともに、その理論ではゼロ質量の粒子(南部・ゴールドストーン粒子)が存在しなければならないことを証明した。
10行目:
1962年から1976年まで、ケンブリッジ大学で教員を務めた。1970年初頭、Peter Goddard、Claudio Rebbi 、Charles Thornとともに相対論的弦の光円錐量子化理論を研究した。1977年に[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]の物理学教授としてアメリカに移り、そこで1983年からCecil and Ida Green物理学教授、1983年から1989年までMITの理論物理学センターの所長を務めた。
 
Roman Jackiwと[[フランク・ウィルチェック]]と行った場の量子論におけるソリトンの研究と、Edward FarhiとSamuel Gutmannと行った多数による量子強法則の研究を発表している。1997年よりFarhi、Gutmann、Michael Sipser、Andrew Childsとともに量子計算アルゴリズムの研究を続けている<ref>[http://web.mit.edu/physics/people/faculty/goldstone_jeffrey.html Bio at MIT]</ref>
 
== 受賞 ==