「片岡仁左衛門 (13代目)」の版間の差分

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1966年、[[歌舞伎座]]でつとめた『廓文章』(吉田屋)の伊左衛門が好劇家から高い評価を受け、それまでどちらかといえば独特な持味はあるものの、手堅いだけといわれていた仁左衛門の演技に変化がおとずれる。仁左衛門の芸は、驚くべきことながら七十代の後半から八十代に至って飛躍的に深化し、一躍、名優の列に加えられることになった。最晩年の滋味あふれる品格高い演技を賞賛する者は今でも少なくない。
 
1972年、[[重要無形文化財]]保持者に各個認定([[人間国宝]])、[[日本芸術院賞]]受賞<ref>『朝日新聞』1972年4月12日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、23頁。</ref>。1981年、[[国立劇場]]の『[[菅原伝授手習鑑]]』の[[菅丞相]]は絶品を超え「天神さま」にあやかる「神品」とまで絶賛、[[大向う]]からは「松嶋屋天神!」の掛声がかかるほどだった。このころから[[緑内障]]のために徐々に視力が衰え、最晩年には[[失明]]状態に陥ったが、生涯舞台に立ちつづけた。1981年、[[日本芸術院]]会員。1992年、[[文化功労者]]。1993年12月の京都南座顔見世における『八陣守護城・御座船の段』の佐藤正清が最後の舞台となり、1994年3月26日、京都で死去。享年90。<!--享年90。-->
 
=== 人物 ===
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