「渡辺晋」の版間の差分

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政財界にも強力なコネクションを持ち、[[マスメディア]]がナベプロを批判することはタブーとなった。面倒見がいいことで知られ、[[中尾ミエ]]や[[梓みちよ]]も渡辺の家に住まわせていた時期があった他、学生タレントの学費や家の建築費等も事務所が負担した事もあったという。一方で仕事に対しては非常に厳格な事で知られ、重役会議等でもタレントの売り出し方や曲の詞やタイトルの意味、楽曲の曲調、コンセプトにいたるまで厳しく詰問する事が多かったという。
 
また先見の明も優れており、自身の出自である[[ジャズ]]だけでなく、当時異端視されていた[[ロカビリー]]、[[ジャズ]]、[[ソウルミュージック]]、[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]等を当初から高く評価、何れも自社の若手歌手に歌唱させ流行させたばかりでなく、その後の長きに渡り定着させる礎を築いた。
 
自身の持説は「自社のタレントには音楽性、芸術性を高めるよりも大衆受けを高めろ」というものであったといい、自社の歌手やアイドルにも「ステージ上では常に背筋を伸ばし、笑顔を振り撒け。」と指図していたという。また「タレントは[[偶像]]であるべし。」という思考をもっており、当時喜劇俳優として全盛期であった[[植木等]]が恩師と対面する番組に出演するというオファーがあった際は、植木の真面目な地が出て無責任男のイメージが崩れるという理由で固辞させたという。また一部の女性アイドルの恋愛遍歴等も今日と異なり明かさせず、[[天地真理]]や[[キャンディーズ]]等は、雑誌の対談企画などで[[処女]]である事を強調させ、純潔なイメージを死守させた。