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弟アルベルトゥス・ヨハネス・ボードウィン関係ref補足。xl補足、リンク先調整など。典拠記録などアントニウス・フランシスクス・ボードウィンの生年を1922年とする資料があることに留意。
{{出典の明記|date=2016年7月25日 (月) 00:30 (UTC)}}
[[ファイル:Anthonius_Franciscus_Bauduin.jpg|thumb|200px|アントニウス・ボードウィン]]
'''アントニウス・フランシスクス・ボードウィン'''<ref>ボードワン、ボードイン、ボードウァンとも。</ref>(Anthonius Franciscus Bauduin、[[1820年]][[6月20日]] - [[1885年]][[6月7日]]。)は、[[オランダ]]出身の[[軍医]]。父はフランシスクス・ドミニクス・アンドレアス・ボードウィン、母はマリア・ヤコバ・マション。弟に駐日オランダ領事を務めたアルベルトゥス・ヨハネス・ボードウィン<ref>[http://www.biografischportaal.nl/persoon/32173786 Albertus Johannes Bauduin]</ref><ref>[http://worldcat.org/identities/lccn-n2002032965/ Bauduin, Albertus Johannes 1829-1890] - [[WorldCat Identities]]</ref>がいる。
 
== 生涯 ==
 
== 活動 ==
 
養生所、医学校教頭としてオランダ医学の普及に努めたほか、本国から[[クーンラート・ハラタマ]]を招聘するなどして[[物理学]]や[[化学]]の日本の教育制度の充実を図った。また、[[上野]]に病院を立てる計画が持ち上がったときに、上野の自然が失われることを危惧して一帯を[[公園]]として指定することを提言した(現在の[[上野恩賜公園]])。上野公園に業績を顕彰する銅像「'''ボードワン博士像'''」がある<ref>{{Cite web|url=http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/midokoro.html|title=上野恩賜公園 みどころ|publisher=東京都建設局|accessdate=2016-07-25}}</ref>。
 
 
== 文献 ==
* [[相川忠臣]]「ボードイン 最新の医学を教授した優れた教育者」、『九州の蘭学-越境と交流』、303-10頁。
: ヴォルフガング・ミヒェル・鳥井裕美子・川嶌眞人共編(京都:[[思文閣出版]]、[[2009年]])、ISBN 4784214100。
 
 
== 外部リンク ==
* [http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/siryo-search/ecolle/index.htmlbkogi/ 長崎大学電子化コレクション(ボードインコレクション、ボードイン講義録)]
* [http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/list.php?req=1&target=Bauduin 長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース]。[[2010年]][[12月3日]]閲覧
* [http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/bauduins/jp/11.html Nagasaki University Library] - Bauduin Collection
* {{kotobank|ボードゥイン-133696|[[ブリタニカ大百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典|ボードゥイン}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ほるとういん あんとにうす}}
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