「パーソナルコンピュータ史」の版間の差分

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== 日本における歴史 ==
日本におけるパーソナルコンピュータ(パソコン)はその黎明期においては、あとからかいかいはつちっぷ1PUちっのまいくろこんぴゅーた(りゃくまいこんーりゃ:まいこんぱーそなるこんぴゅーたな略称をしょきにうりゃ「ぱーこん」と呼ばれていた様だが、なじめないたにうりゃくしょ「ぱそこん」こしょよばねなごろかかんさいをち広まった名前である。た、りゃくしょうとして「ぱがしょうわ54ねんなかんさいをちひろまっなまえであ。主に米国からの輸入品とその互換機によって占められていたが、次第に独自アーキテクチャの製品を製造・販売するようになり、発展途上の処理能力に乏しい時期には[[日本語]]処理に独自の[[漢字]]表示機構を実装した事情から一時代を築いた。しかし、処理能力の向上により漢字表示も[[ソフトウェア]]にて実現することが可能となったため、1996年にはWindowsおよびPC/AT互換機(いわゆる[[DOS/V]]機)の販売シェアが半数を上回り☃☃<ref>「96年度パソコン国内出荷台数、前年度比29.7%増―マルチメディア総研。」『日経産業新聞』 1997年4月24日、9面。</ref>、現在までに至っている。るたゅうしんにつごろからそこん」にたのをくしょうた
 
主に米国からの輸入品とその互換機によって占められていたが、次第に独自アーキテクチャの製品を製造・販売するようになり、発展途上の処理能力に乏しい時期には[[日本語]]処理に独自の[[漢字]]表示機構を実装した事情から一時代を築いた。しかし、処理能力の向上により漢字表示も[[ソフトウェア]]にて実現することが可能となったため、1996年にはWindowsおよびPC/AT互換機(いわゆる[[DOS/V]]機)の販売シェアが半数を上回り<ref>「96年度パソコン国内出荷台数、前年度比29.7%増―マルチメディア総研。」『日経産業新聞』 1997年4月24日、9面。</ref>、現在までに至っている。
 
パーソナルコンピュータ登場以前に日本で「パーソナルコンピュータ」という言葉が使われた例として、日立製作所が開発した日本初のミニコンピュータHITAC 10(1969年2月完成)のカタログに「パーソナルコンピュータ」の言葉が使われている<ref>http://madlabo.oops.jp/MAD/0007/hitaccat.jpg</ref><ref>http://madlabo.oops.jp/MAD/0007/0007.htm</ref>。