「昭聖太后」の版間の差分

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'''昭聖太后''' (しょうせいたいこう、[[1578年]]ごろ – [[1669年]])は、[[広西チワン族自治区|桂]]王[[朱常瀛]]の側室で、[[南明]]最後の[[皇帝]][[永暦帝]]の生母<ref>《南明史》卷二十六</ref>。姓は'''馬氏'''。名は伝わっていないが、[[カトリック]]に入信し'''マリア'''(Maria)という[[洗礼名]]を受けた。
 
 
== 生涯 ==
[[1659年]]に永暦帝に従って[[タウングー王朝|ビルマ]]に亡命するが、[[1662年]]に[[清]]の[[呉三桂]]の侵攻を受けたことでビルマ王[[ピンダレ]]により清軍に引き渡された。永暦帝が[[昆明市|昆明]]で殺害されたことを知ると、「逆賊呉三桂よ!汝の謀反によって、わらわの家は罠にはめられた。わらわは死して、地下から見張って汝の屍をすべて砕かれるのを見てやる!」と嘆き、かつての[[明]]の武将でありながら清に投降して南明政権を滅ぼした呉三桂を罵った。
 
北京へ送られる途中で永暦帝の皇后[[孝剛匡皇后]]と互いの喉を絞めて死のうとしたが、昭聖太后だけが死ねなかった。北京の宮廷では同情を受けて尊重さ敬意を払われ、清の支援を受けて余生を過ごした。
 
康熙8年([[1669年]])、91歳の高齢で死去した。
 
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[[Category:南明の追封皇后]]
 
[[Category:中国の皇族の妃]]
[[Category:中国のカトリック教会の信者]]
[[Category:1578年生]]
[[Category:1669年没]]
[[Category:南明]]
[[Category:中国の皇族の妃]]
[[Category:中国のカトリック教会の信者]]
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