「ジャン=ジャック・ルソー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 表現を分かりやすく改めました
95行目:
 
==== テレーズとの出会い ====
ルソーはサン=カンタンのホテルで23歳の女中{{仮リンク|テレーズ・ルヴァスール|fr|Marie-Thérèse Le Vasseur}}に出会い、恋に落ちる。テレーズに教養は無く、文字の読み書きも満足にできなかったという。ルソーはそうではあるが、ルソーは彼女の素朴さに惹かれたようである<ref name="中里(1969)69">[[#中里(1969)|中里(1969)]] p.69</ref>。
 
二人は「決して捨てないし結婚もしない」という条件で生涯添い遂げるが、晩年になるまで正式な結婚はしなかった。この二人の関係は、周囲の状況に影響を受け順調にはいかなかった。テレーズの親類縁者がルソーを図々しく頼り、ルソーは稼がなくてはならなくなる<ref name="中里(1969)70">[[#中里(1969)|中里(1969)]] p.70</ref>。また、二人の間には1747年から1753年までに五人の子供ができるが、経済力のないルソーは当時では珍しいことではないのだが、わが子を孤児院に入れている<ref name="中里(1969)72">[[#中里(1969)|中里(1969)]] p.72</ref>。当時のパリでは年間3千人の捨て子が発生しており、この問題はすでに社会現象化していた。ルソーも当時の悪しき社会慣行に従ったわけだが、この出来事は『エミール』を書くときに深い反省を強いるものになり、ルソーに強い後悔の念をもたらしていく。
132行目:
 
[[ファイル:Louise d'Epinay Liotard.jpg|right|thumb|200px|デピネ夫人]]
ルソーはデピネ夫人から[[モンモランシー (ヴァル=ドワーズ県)|モンモランシー]]にレルミタージュ(隠者の庵)という小さめの邸宅を宛がわれた。ヴォルテールとの関係は好ましいものではなかった。『人間不平等起源論』を贈っているが、「人はあなたの著作を読むと四足で歩きたいと思うでしょう」と嫌味を言われている<ref name="ルソー 『人間不平等起源論』 (1933)190">[[#ルソー 『人間不平等起源論』 (1933)|ルソー 『人間不平等起源論』 (1933)]] p.190</ref>。こうしたこともあって、ヴォルテールがジュネーヴで暮らすのを聞き、当地そこでの生活を断念した。ルソーは1756年からモンモランシーで暮らすことになった。ルソーの新しい住居はパリから16キロ離れた田園地帯にあり、都市の喧騒から離れたいと願っていたルソーにとって非常に良い環境にあった<ref name="中里(1969)82">[[#中里(1969)|中里(1969)]] p.82</ref>。
 
ルソーは邸宅の周辺の森を散歩をしながら哲学、政治思想、教育理論に関する思索をおこない『政治制度論』を執筆し、『社会契約論』や『エミール』の中心部分を仕上げていった。また、ときには恋愛について夢想して『新エロイーズ』といった作品の執筆活動を進めていった<ref name="中里(1969)83">[[#中里(1969)|中里(1969)]] p.83</ref>。そんな中、ルソーは友人サン・ラベールの愛人であったデュドト夫人の訪問を受ける。夫人は30歳にちかい年齢の女性で美人ではなかったというが、柔和で優しい生き生きとした女性であった。ルソーは彼女に心奪われてしまう。デュドト夫人にはルソーと恋仲になるつもりはなかったので片思いで終わるが、ルソーと夫人は親しく交流し、ルソーにヴァランス夫人やテレーズでは得られなかった幸福な思いをもたらした<ref name="中里(1969)84-86">[[#中里(1969)|中里(1969)]] pp.84-86</ref>。
149行目:
1762年4月、彼の思想は『[[社会契約論]]』({{lang|fr|''Le Contrat social, 1762''}})によって決定的な展開、完成を示した。
 
ルソーは、『人間不平等起源論』の続編として国家形成の理想像を提示しようとする。ホッブスやロックから「[[社会契約]]」という概念を継承しながら、さまざまな人々が社会契約に参加して国家を形成するとした<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)29">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.29</ref>。そのうえで、人々の闘争状態を乗り越え、さらに自由で平等な市民として共同体を形成できるよう、社会契約の形式を示した<ref name="桑原(1962)31-32">[[#桑原(1962)|桑原(1962)]] pp.31-32</ref>。まず、社会契約にあたっては「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてを挙げて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人がすべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」を前提とした上で、多人数の人々が契約を交わして共同体を樹立するとした<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)29">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.29</ref>。ルソーによると、暗黙に承認されねばならない「社会契約」の条項は次のたった一つの要件に要約される。それは、これまで持っていた特権と従属を共同体に譲渡して平等な市民として国家の成員になることが求められる<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)30">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.30</ref>。そのうえで市民は国家から生命と財産の安全を保障されるという考えを提示した<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)29">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.29</ref>。
 
社会契約によってすべての構成員が自由で平等な単一の国民となって、国家の一員として政治を動かしていく<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)41">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.41</ref><ref name="桑原(1962)32-33">[[#桑原(1962)|桑原(1962)]] pp.32-33</ref>。だが、めいめいが自分の私利私欲を追及すれば、政治は機能せず国家も崩壊してしまう<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)35">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.35</ref>。そこで、ルソーは各構成員は共通の利益を志向する「[[一般意志]]」のもとに統合されるべきだと主張した<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)31">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.31</ref>。公共の正義を欲する一般意志に基づいて自ら法律を作成して自らそれに服従する、人間の政治的自律に基づいた法治体制の樹立の必要性を呼びかけた<ref name="ルソー 『社会契約論』 (1954)35">[[#ルソー 『社会契約論』 (1954)|ルソー 『社会契約論』 (1954)]] p.35</ref><ref name="桑原(1962)34-35">[[#桑原(1962)|桑原(1962)]] pp.34-35</ref>。