「清水義範」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
22行目:
[[1947年]](昭和22年)、[[愛知県]][[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]][[天白村 (愛知県)|天白村]](現[[名古屋市]][[天白区]])生まれ<ref name="生まれ"/>。2歳のときに、名古屋市[[西区 (名古屋市)|西区]][[笠取町]]に移住した<ref>{{Cite book|和書|author=清水義範|title=バールのようなもの|chapter=愛知妖怪事典 かさとり|page=265|language=日本語|publisher=文藝春秋|series=文春文庫|date=1998-09-10}}</ref>。[[名古屋市立庄内小学校]]、[[名古屋市立名塚中学校]]、[[愛知県立名古屋西高等学校]]<ref>[[高千穂遙]]は面識はなかったが後輩</ref>、および[[愛知教育大学]][[教育学部]]国語学科卒業<ref>以上『やっとかめ! 大(でゃあ)名古屋語辞典』より</ref>。
 
中学時代からSFファンで、[[同人作家]]として自身でSF同人誌を発行。[[半村良]]の面識を得て、大学卒業後、半村の勧めで上京し半村に師事<ref>半村原作『軍靴の響き』コミカライズ版へ清水が寄稿した追悼文によれば、教わったのは食い物や酒のことばかりだったという</ref>。[[1977年]](昭和52年)から[[ソノラマ文庫]]を活動の場とし、『宇宙史シリーズ』など[[サイエンス・フィクション|SF]]を中心に多数の[[ジュブナイル]]作品を発表した。
 
その後、短編集『蕎麦ときしめん』では[[司馬遼太郎]]の文体で[[猿蟹合戦]]を叙述したり(『猿蟹の賦』。猿蟹合戦ネタでは他に[[丸谷才一]]の文体を用いた『猿蟹合戦とは何か』も発表している)、『日本人とユダヤ人』やそれをめぐる状況の[[パロディ]]となっている表題作など様々な[[パスティーシュ]]の手法が用いられている。以降この手法を用いた短編を書き続け、その数は数百編に達する。この他にもユーモア色の濃い[[推理小説]]のシリーズを複数手がけたり、自伝的な青春小説シリーズを執筆している。