「ベンガル太守」の版間の差分

意味が通らない文章の修正。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
(意味が通らない文章の修正。)
 
その後、同年[[8月16日]]にブクサールの戦いの講和条約[[アラーハーバード条約]]が締結され、イギリスはこのアラーハーバード条約により、ムガル皇帝からベンガル、ビハール、オリッサ3州の[[ディーワーニー]](州財務長官の職務・それに付随する権限)を獲得した。
イギリスがこの条約で獲得した三州のディーワーニーの存在は大きく、これは三州を割譲されたわけではなかったが、イギリスが帝国の州財務長官としての諸税の徴収・支出の職務・権限を皇帝により認められたということである<ref>メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.81</ref><ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、pp.272-273</ref>。イギリスにディーワーニー与えたことということは、事実上この三州を事実上領有を許したも同然であった<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、pp.272-273</ref>。
 
また、イギリスは行政権を通して司法権を行使することも可能であったが、ベンガル太守が存続していたため、これらの地域は二重統治(二元統治)となった<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.276</ref><ref>チャンドラ『近代インドの歴史』、p.68</ref>。とはいえ、形式的にはベンガル太守の領土はムガル帝国領だったものの、実質的にはイギリスに管理され、皇帝も太守も行政に関しては関与できなくなった。
匿名利用者