「サリカ法典」の版間の差分

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== 概要 ==
原型が成立したのは[[フランク王国]][[メロヴィング朝]]の初代の王[[クロヴィス1世|クローヴィス]]の晩年に当たる[[6世紀]]の初頭と考えられ、今日は[[8世紀]]後半以降の[[写本]]が伝わる。サリー人のゲルマン慣習法に、[[ブルグント族]]法典のような他の[[ゲルマン法|ゲルマン部族法典]]の要素や、成立したばかりのフランク王権に関わる規定を取り入れて成立したとみられる。
 
その後、改定を受けながら[[カール大帝]]の時代にも適用された。しかしフランク王国が分裂、消滅し、その版図に成立した各国の王権が弱かったため、次第に効力を失っていったが、その影響は後世に残った。