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{{by|1976年}}の[[1976年のMLBドラフト|MLBドラフト]]1巡目(全体15位)で[[セントルイス・カージナルス]]から指名され、プロ入り。{{by|1980年}}[[5月17日]]の[[ニューヨーク・メッツ]]戦でメジャーデビュー<ref>{{Cite web|url=https://www.baseball-reference.com/boxes/SLN/SLN198005270.shtml |title=New York Mets at St. Louis Cardinals Box Score, May 27, 1980|publisher=Baseball-Reference.com|language=英語|accessdate=2018年5月9日}}</ref>。
 
1980年オフに[[ブルース・スーター]]との[[トレード#メジャーリーグ|トレード]]で、[[シカゴ・カブス]]へ[[移籍]]した。移籍2年目の{{by|1982年}}には打率.312([[ナショナルリーグ]]3位)・22本塁打・90打点・28盗塁・長打率.521(同3位)で[[1982年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]にも初選出された。{{by|1984年}}は23本塁打・96打点の成績を残してチームの地区優勝に貢献した。[[1984年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップ]](対[[サンディエゴ・パドレス]])でも2本塁打を放ったが、最終第5戦でタイムリーエラーを犯し、逆転負けの戦犯となってしまった<ref>[https://youtube.com/watch?v=ugOdiF1y2E0 1984 NLCS Gm5: Durham's error opens the door]、[[YouTube]])</ref>。
 
{{by|1987年}}には自己最多の27本塁打を放つが、その後は麻薬禍でメジャーを追われ、[[独立リーグ]]の[[セントポール・セインツ]]などでプレーした<ref>{{Cite book|和書|author=出野哲也|year=2013|title=改訂新版 メジャー・リーグ人名事典|publisher=言視舎|pages=314頁|id=ISBN 978-4-905369-67-7}}</ref>。