「台湾沖航空戦」の版間の差分

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15日、志摩艦隊の旗艦の重巡那智は足柄、軽巡阿武隈及び駆逐艦7隻([[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]、[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]、[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]、[[不知火 (陽炎型駆逐艦)|不知火]]、若葉、初春、初霜)を引き連れ[[瀬戸内海]]を出撃した。一方、アメリカ軍のハルゼー提督は暗号解読により日本艦隊(志摩艦隊)が出撃したと知ると、損傷巡洋艦2隻に空母を含む護衛部隊をつけ、偽装電報を発信して日本艦隊を誘因しようとした<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]59頁</ref>。しかし日本艦隊の動きが鈍い事を知ると、艦隊戦闘に向けての準備をやめ、レイテ上陸支援に専念するよう命じた<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]61頁</ref>。
 
15日午後、第26航空戦隊の一式陸上攻撃機機が体当たり攻撃を目的としてフィリピンのルソン島クラークより出撃した(未帰還・戦果不明)。
 
16日、旗艦ニュージャージー艦上のハルゼーはニミッツに宛てて「ラジオ東京が撃沈と報じた第3艦隊の全艦艇は、いまや海底から蘇って、目下、敵方へ向けて退去中」という電文を発信した。カール・ソルバーグによればこれはアメリカ側では有名な報告だと言う。
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アメリカの戦史研究家[[サミュエル・モリソン]]は、日本軍の空襲を最も激しい規模であると評価しつつ、「わが空母部隊の防御力が、自らを護るのに十二分であることを、六月に続いて再度立証した」と紹介している<ref>『モリソン戦史』(History of United States Naval Operations in World War II),柳田邦男『[[零戦燃ゆ]]』5巻P223</ref>。
== 最初の特攻 ==
15日午後、第26航空戦隊司令官の[[有馬正文]]少将が搭乗する機を含む一式陸上攻撃機機が体当たり攻撃を目的としてフィリピンのルソン島クラークより出撃し、未帰還となった。
アメリカ軍の記録に被害の報告はないがこれをもって特攻第一号とする見方もある。