「北京料理」の版間の差分

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広義では[[山東省]]・[[山西省]]・[[河北省]]の料理を吸収して、北京風にアレンジした料理の総称。更に、北京は大元帝国(つまり[[モンゴル帝国]])・[[大清帝国]]のような中国全土を支配した少数民族が建った国の首都なので、故地である[[満洲国]](いまの[[中国東北地方]])・モンゴル国の料理も北京の[[中華料理]]に含める事がある。こうして、漢民族の多くな省・少数民族の地域も含む中国全土の名物料理を集めたものであり、元々は北京独特の料理ではないが、主に宮廷料理人によって洗練されたため、「北京料理」と言い習わされた。ただし、モンゴル国も、中国の東北地方も、これらの地域に存在している郷土料理自体が、漢民族の中華料理の影響を何百年間も受けて同化され、自分の国の固有の料理と中華料理の間の隙間はほとんど消えて、その原因より満洲料理・モンゴル料理もすべて中華料理の北京料理に含むという説もある。
 
[[元]]王朝・[[明]]王朝・[[清]]王朝の時期に、北京料理は中国歴代王朝の食文化の大成にされ、中国の代表的な料理となった。だが、近代に入って、中国の清朝ますます崩壊にようになったため、お金や命の保護を求めて、宮廷料理人の90%以上は北京から流出し、それとも最高レベルの中華料理人がの調理法も中国全土に広まって、た。特にその恩恵を受けたのは、当時一番平和の四川省と広東省へ流入しであった。広東省はイギリスの植民地である香港のすぐ隣で、言葉も広東語でから、当時大英帝国のすべての植民地に広げた。そして、イギリスの世界へ影響力によって、いま中国料理を代表する料理はもうはや北京料理ではなく、広東料理となった。また、元来の[[四川料理]]は独特な[[麻辣味]]を持つ[[四川料理]]は、北京料理の繊細性と宮廷料理の高水準を融合して、今の高級四川中華と四川風フルコースになった。北京料理四川化した例は、北京料理にを由来とする[[お焦げ|おこげ]]料理は今の四川の庶民の中でも普通に食べられるという。
 
== 特徴 ==