「南部煎餅」の版間の差分

伝承など項目を整理、出典・参考文献等を追記
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 ビジュアルエディター
(伝承など項目を整理、出典・参考文献等を追記)
{{出典の明記|date=2016年8月27日 (土) 12:01 (UTC)}}
[[File:Nanbu Senbei.jpg|thumb|270px]]
{{統合文字|煎餅}}
 
== 概要 ==
元々は八戸藩で作られた非常食である。現在はり、[[青森県小麦粉]]と隣接する[[岩手県]]で練って円形の型入れて堅く焼いて作られる。縁に「みみ」と呼ばれる薄くカリッとし部分地域のが特徴。<!--またそして[[北海道]]せんべいの表面にはメーカーも存在する。よって岩手県何らか二戸市絵柄名産と、裏面に言いにく製造業者の名前がそれぞれ入ってるもある。-->
保存性は非常によいが、時間が経過すると[[酸化]]により味が落ちる。個包装の商品も存在するが、通常は10~20枚程度を1つの袋に入れた簡素なものが多い。青森、岩手の旧南部氏支配地域においては非常にポピュラーな食べ物であり、来客にも供される。
=== 種類 ===
通常の「白せんべい」と呼ばれるものの他にゴマ、[[クルミ]]、[[ラッカセイ|落花生]]などを加えて焼いたものもある。近年また同じ材料は[[イカ]]厚めに焼き[[カボチャ]]、[[リンゴ]]、[[ココア]]などバリエーション食感を柔らかく仕上げた「てんぽせんべい」豊富である。クッキー状の生地で作られるものもある。
 
近年では[[イカ]]、[[カボチャ]]、[[リンゴ]]、[[ココア]]などバリエーションが豊富である。クッキー状の生地で作られるものもある。ただし、通常[[スーパーマーケット|スーパー]]等で売っているものと言えばまずゴマ、次いで落花生の二種類であり、他の種類のものはメーカー直営店や土産物屋、南部煎餅専門コーナー等以外では入手しにくい。
[[小麦粉]]を[[水]]で練って円形の型に入れて堅く焼いて作る。これは、日本の古い煎餅作りの方法である。縁に「みみ」と呼ばれる薄くカリッとした部分があるのが特徴。<!--また、せんべいの表面にはメーカーによって何らかの絵柄が、裏面には製造業者の名前がそれぞれ入っているものもある。-->
地域によっても味が微妙に異なり、青森県で消費される南部煎餅は比較的薄くてほんのり塩っけのある味がし、岩手県で消費される南部煎餅は少し厚みがありほんのり甘い傾向がある。
 
=== 食べ方 ===
通常の「白せんべい」と呼ばれるものの他にゴマ、[[クルミ]]、[[ラッカセイ|落花生]]などを加えて焼いたものもある。近年では[[イカ]]、[[カボチャ]]、[[リンゴ]]、[[ココア]]などバリエーションが豊富である。クッキー状の生地で作られるものもある。
白せんべいはそのまま食べるのが一般的であるが、その他に、[[水飴]]や[[赤飯]]を挟んで食すこともある(後者については[[せんべいおこわ]]を参照)<ref>「新編八戸市史 民俗編」(2010年)八戸市) 300P</ref>水飴を挟んだものは「飴せん」と呼ばれ、津軽地方の「津軽飴」を用いることが多い。
 
また、パン代わりに「白せんべい」または「ゴマせんべい」をトースターで加熱し、[[バター]]等を塗って食べる人もいる。
通常[[スーパーマーケット|スーパー]]等で売っているものと言えばまずゴマ、次いで落花生の二種類であり、他の種類のものはメーカー直営店や土産物屋、南部煎餅専門コーナー等以外では入手しにくい。
 
=== 区域 ===
白せんべいはそのまま食べる他に、[[水飴]]や[[赤飯]]を挟んで食すこともある(後者については[[せんべいおこわ]]を参照)。水飴を挟んだものは「飴せん」と呼ばれ、津軽地方の「津軽飴」を用いることが多い。
現在は岩手県南部煎餅協同組合が「南部せんべい」の名で商標登録しているが、実際は[[南部藩]]の領域で主に生産されてきたものであり、[[青森県]]南部・[[岩手県]]・[[北海道]]にも存在しており広範囲にわたっている。
先述通り、[[南部藩]]の領域岩手県主に生産されてきたのであるが、旧[[仙台藩]]にあたる岩手県南部でも生産・消費されている。
 
== 歴史 ==
保存性は非常によいが、時間が経過すると[[酸化]]により味が落ちる。個包装の商品も存在するが、通常は10~20枚程度を1つの袋に入れた簡素なものが多い。青森、岩手の旧南部氏支配地域においては非常にポピュラーな食べ物であり、来客にも供される。
=== 発祥・由来 ===
その由来には諸説あるものの、大方一般的には「長慶天皇創始説」を取っが広く知られている。
{| class="wikitable" style="text-align: left;" style="width:65%"
|-
!style="white-space:nowrap" |学説
!style="width:85%" |内容
|-
:|長慶天皇創始説||[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の頃、南朝の[[長慶天皇]]が[[名久井岳]]の麓(現・[[三戸郡]][[南部町 (青森県)|南部町]]<!-- 今は牡丹寺としても有名-->)、[[長谷寺]]を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家から[[そば粉]]と[[ゴマ|胡麻]]を手に入れ、自分の鉄兜を[[鍋]]の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出した。この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとする説である。
 
:さらに天皇はその風味を非常に好んで度々、赤松に作らせ、天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したという。現在の南部煎餅には確かに「菊水」と「三階松」の紋所が刻まれている。昭和20年代初頭に、八戸煎餅組合によって「南部せんべい」の創始起源の再整理が行われた際、この説を中心に整理された。
また、パン代わりに「白せんべい」または「ゴマせんべい」をトースターで加熱し、[[バター]]等を塗って食べる人もいる。
|-
:|八戸南部氏創始説||[[応永]]18年([[1411年]])の「秋田戦争」で八戸軍(根城南部)の兵士たちが戦場でそば粉に胡麻と[[塩]]を混ぜ鉄兜で焼いて食べたところ、将兵の士気大いに上がり、戦勝することができた。その後多くの合戦に携行され、南部せんべいの始まりとなったとする、「八戸[[南部氏]]創始」説もある。
|-
|キリスト創始伝承||[[昭和]]10年([[1935年]])頃に[[新郷村]]の[[盆踊り]]「[[ナニャドヤラ|Y&K]]」から、突如誕生した新郷村の「イエス・キリスト日本渡来伝説」と共に沸いた話の一つ。
 
:[[昭和]]10年([[1935年]])頃に[[新郷村]]の[[盆踊り]]「[[ナニャドヤラ|Y&K]]」から、突如誕生した新郷村の「イエス・キリスト日本渡来伝説」と共に沸いた話の一つ。ゴルゴタの丘での処刑を逃れたキリストは、[[シベリア]]経由で[[日本]]に渡来した。[[八戸市|八戸]]の八太郎に上陸して新郷村の沢口や迷ヶ平で生活したという。この時キリストの郷里で食べていた[[パン]]([[マッツァー]])に似せて作ったとも、[[モーゼ]]伝説における[[マナ (食物)|マナ]]だともいう。[[聖書]]ではマナは煮ても焼いてもよいとされ、煎餅状にしたものが、現在の南部せんべいの始まりであるという説である。ただしこの説の場合、マナの正体は[[米]]だったともいうので現在の南部煎餅の材料(小麦)とは合わない
先述通り、[[南部藩]]の領域で主に生産されてきたものであるが、旧[[仙台藩]]にあたる岩手県南部でも生産・消費されている。
 
ただしこの説の場合、マナの正体は[[米]]だったともいうので現在の南部煎餅の材料(小麦)とは合わない。
青森県で消費される南部煎餅は比較的薄くてほんのり塩っけのある味がし、岩手県で消費される南部煎餅は少し厚みがありほんのり甘い
|}
=== 明治・大正期 ===
明治・大正時代の時点で既に南部せんべいは北海道・東北六県で広く食べられていた。<ref>明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」(2002年八戸市) 418P「八戸小記」</ref>当時は麦粉に塩を加えて丸く焼くだけのもので非常にシンプルなものであった。明治時代以前は松の木を用いて焼いていたが、大正期には炭火でせんべいを焼くようになった。<ref>「明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」(2002年八戸市) 418P「八戸小記」</ref>
 
南部地方の[[八戸町]](現在の[[青森県]][[八戸市]])では明治10年代頃には煎餅店が140店あり、他の業種(呉服店67戸、米商58戸)を大きく上回っており、幅広く地域住民に食されていたことがうかがえる。<ref>「「明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」(2002年八戸市) 31P「陸奥国三戸郡大邑誌」</ref>また、煎餅店だけでなく、各家庭にも煎餅型が数個備えてあり、一般的に南部煎餅が焼かれていた。<ref>「新編八戸市史 民俗編」(2010年)八戸市) 300P</ref>
==由来==
その由来には諸説あるものの、大方は「長慶天皇創始説」を取っている。
;長慶天皇創始説
:[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の頃、南朝の[[長慶天皇]]が[[名久井岳]]の麓(現・[[三戸郡]][[南部町 (青森県)|南部町]]<!-- 今は牡丹寺としても有名-->)、[[長谷寺]]を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家から[[そば粉]]と[[ゴマ|胡麻]]を手に入れ、自分の鉄兜を[[鍋]]の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出した。この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとする説である。
:さらに天皇はその風味を非常に好んで度々、赤松に作らせ、天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したという。現在の南部煎餅には確かに「菊水」と「三階松」の紋所が刻まれている。昭和20年代初頭に、八戸煎餅組合によって「南部せんべい」の創始起源の再整理が行われた際、この説を中心に整理された。
;八戸南部氏創始説
:[[応永]]18年([[1411年]])の「秋田戦争」で八戸軍(根城南部)の兵士たちが戦場でそば粉に胡麻と[[塩]]を混ぜ鉄兜で焼いて食べたところ、将兵の士気大いに上がり、戦勝することができた。その後多くの合戦に携行され、南部せんべいの始まりとなったとする、「八戸[[南部氏]]創始」説もある。
;キリスト創始伝承
:[[昭和]]10年([[1935年]])頃に[[新郷村]]の[[盆踊り]]「[[ナニャドヤラ|Y&K]]」から、突如誕生した新郷村の「イエス・キリスト日本渡来伝説」と共に沸いた話の一つ。ゴルゴタの丘での処刑を逃れたキリストは、[[シベリア]]経由で[[日本]]に渡来した。[[八戸市|八戸]]の八太郎に上陸して新郷村の沢口や迷ヶ平で生活したという。この時キリストの郷里で食べていた[[パン]]([[マッツァー]])に似せて作ったとも、[[モーゼ]]伝説における[[マナ (食物)|マナ]]だともいう。[[聖書]]ではマナは煮ても焼いてもよいとされ、煎餅状にしたものが、現在の南部せんべいの始まりであるという説である。ただしこの説の場合、マナの正体は[[米]]だったともいうので現在の南部煎餅の材料(小麦)とは合わない。
 
== 関係食品 ==
=== せんべいのみみ ===
せんべいを丸く仕上げる過程で、型からはみ出してしまった部分は切り落とされるが、この部分を集めた「せんべいのみみ」と呼ばれる食べ物もあり、地元ではこちらも人気がある。
 
=== せんべい汁(八戸せんべい汁・南部煎餅汁など) ===
[[画像:南部煎餅(煮込用).jpg|thumb|300px|煮込用の煎餅の例。胡麻はもちろんのことピーナツも入っていない。型くずれしないように水分を残して仕上げられてある。]]
 
*[[せんべい汁]]
*[[せんべいおこわ]]
 
== 参考文献 ==
*「明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」(2002年八戸市)
*「新編八戸市史 民俗編」(2010年八戸市)
 
== 参考・脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
 
==外部リンク==
=== メーカー ===
*[http://www.iwateya.co.jp/ 巖手屋(南部せんべいメーカー)]
*[http://www.hachinoheya.co.jp/ 南部煎餅本舗 八戸屋 (南部せんべいメーカー)]
*[http://www.okashi-net.com/mall/sirasawa/ 白沢せんべい店(南部せんべいメーカー)]
*[http://www.takedaseika.jp/ タケダ製菓(株)(札幌市 南部せんべいメーカー)]
=== その他 ===
*[http://www.senbei-jiru.com/ 八戸せんべい汁研究所]
*[http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kikaku/senbei/senbei_menu.htm デーリー東北・せんべい物語]
[[Category:青森県の菓子]]
[[Category:岩手県の菓子]]
[[Category:八戸市の文化]]