「白帝城」の版間の差分

m
編集の要約なし
m
[[ファイル:Bai di cheng.jpg|thumb|right|200px|白帝城の門。『白帝城』の扁額は[[郭沫若]]の揮毫である。]]
'''白帝城'''(はくていじょう)は[[中華人民共和国|中国]][[重慶市]][[奉節県]]の[[長江]][[三峡]]に位置する地名。かつて[[新末後漢初]]の群雄[[公孫述]]がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来である。'''永安宮'''ともいう。
 
[[三国時代 (中国)|三国時代]]、[[蜀]](蜀漢)の建国者[[劉備]]が[[夷陵の戦い]]で[[呉 (三国)|呉]]に敗れ、逃れたのが白帝城であった。劉備は後事を[[諸葛亮]]に託し、この城で没した。『[[三国志演義]]』では、一度呉の将[[陸遜]]が夷陵追撃戦として白帝城を攻撃したが、あらかじめ諸葛亮が仕掛けておいた[[石兵八陣]]により敗走する。
 
後の[[唐]]の時代の詩人[[李白]]は『早発白帝城』(早に白帝城を発す)という詩を残している。
1,586

回編集