「西郷隆盛」の版間の差分

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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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=== 幼少・青年時代 ===
[[ファイル:Birthplace of SAIGO Takamori.JPG|thumb|生誕地付近(鹿児島市加治屋町)]]
[[文政]]10年12月7日([[1828年]]1月23日)、[[薩摩国]][[鹿児島城]]下[[加治屋町 (鹿児島市)|加治屋町]]山之口馬場(下加治屋町方限)で、御勘定方小頭の西郷九郎隆盛(のち[[西郷吉兵衛|吉兵衛隆盛]]に改名、禄47石余)の第1子として生まれる。[[西郷氏]]の[[家格]]は御小姓与であり、下から2番目の身分である下級[[藩士]]であった。本姓は[[藤原氏|藤原姓]]([[#系譜|系譜]]参照)を称するが明確ではない。先祖は[[肥後国]]の[[菊池氏|菊池家]]の[[支族]]とされ、その家臣であったと伝わる。[[江戸時代]]の[[元禄]]年間に[[島津氏|島津家]]々臣が支配する薩摩藩士になる。
 
[[天保]]10年([[1839年]])、[[郷中]](ごじゅう)仲間と月例のお宮参りに行った際、他の郷中と友人とが喧嘩しそうになり喧嘩の仲裁に入るが、上組の郷中が抜いた刀が西郷の右腕内側の神経を切ってしまう。西郷は三日間高熱に浮かされたものの一命は取り留めるが、刀を握れなくなったため武術を諦め、学問で身を立てようと志した
。刀が握れないなりに武術の部分に関しては相撲を習ったという<ref>『大相撲中継』2018年2月17日号 p.15</ref>。