「ウィリアム・エドワード・パリー」の版間の差分

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'''ウィリアム・エドワード・パリー'''(Sir William Edward Parry, [[1790年]][[12月19日]] - [[1855年]]7月8日か9日)は、[[イギリス海軍]]少将で、[[北極]]の探検家。
 
[[バース (イギリス)|バース]]で医者の子として生まれた。13歳の時、[[ウィリアム・コーンウォリス|コーンウォリス]][[提督]]の旗艦に乗船。[[1810年]]から3年間、[[スヴァールバル諸島]]で[[捕鯨]]業の保護に従事。[[1818年]]、[[ジョン・ロス (北極探検家)|ジョン・ロス]]艦長の下でが行った北極探検に出発副官として参画[[北西航路]]西端具体的なある[[ランカスター海峡]]に到達したが、ロス艦長が行き止まりと誤認して引き返してしまい目ぼしい成果は上げられなかったが、[[北西航路1820年]]発見の可能性、自ら探検隊強く感じた。1820年率いてランカスター海峡を東進して北極海へ達し、[[グリーンランド]]から[[ベーリング海峡]]に至る北西航路を開拓した者として名を残すこととなった<ref>{{Cite web |date= 2011-08-23|url= http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110823/281506/?P=6|title= 第1回 ランカスター海峡――神話となった北西航路探検|publisher= ナショナルジオグラフィック|accessdate=2018-05-14}}</ref>
 
1829年、功績を称えサー(Sir)の位を与えられた。
 
{{Botanist|W.Parry}}
 
==脚注==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==