「マーキュリー計画」の版間の差分

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| label1 = 期間
| data1 = 1958年–1963 – 1963
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| label2 = 実施国
| data12 = [[ボストーク|ボストーク計画]] ([[ソビエト連邦]])
}}
'''マーキュリー計画'''(マーキュリーけいかく、{{lang-en-short|Project Mercury}})は、[[19591958年]]から[[1963年]]にかけて実施された、[[アメリカ合衆国]]初の[[有人宇宙飛行]]計画である。これはアメリカと[[ソビエト連邦]](以下ソ連)の間でくり広げられた[[宇宙開発競争]]の初期の焦点であり、[[人間]]を[[地球周回軌道]]上に送り安全に帰還させることを、理想的にはソ連よりも先に達成することを目標としていた。計画は、[[アメリカ空軍|空軍]]から事業を引き継いだ新設の非軍事機関[[アメリカ航空宇宙局]]によって実行され、20回の無人飛行 ([[実験動物]]を乗せたものを含む)、および[[マーキュリー・セブン]]と呼ばれるアメリカ初の[[宇宙飛行士]]たちを搭乗させた6回の有人飛行が行われた。
 
[[宇宙開発]]競争は、[[1957年]]にソ連が[[人工衛星]][[スプートニク1号]]を発射したことにより始まった。この事件はアメリカ国民に衝撃を与え、その結果NASAが創設され、当時行われていた宇宙開発計画は[[文民統制]]の下で推進されることとなった。[[1958年]]、NASAは人工衛星[[エクスプローラー1号]]の発射に成功し、次なる目標は有人宇宙飛行となった。
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