「シュンガ朝」の版間の差分

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このギリシア人は[[バクトリア]]系の集団であったと考えられているが、王が誰であったのかについては議論がある。[[メナンドロス1世]]とする説が有力であるが[[デメトリオス2世]]とする説やまったく別の王とする説も存在する。また中央インドに侵入したギリシア人を、王子[[ヴァースミトラ]](ヴァスミトラ)の指揮するシュンガ軍が撃退したという記録が存在するなど、当時シュンガ朝の主要な脅威はギリシア人の来寇であった。
 
プシャミトラが[[紀元前2世紀|紀元前144年]]頃死去すると、王子の[[アグニミトラ]]が王位を継いだ。彼は父王の治世時代から地方総督として活動している。[[ヴァースジェーシタ]](ジェータミトラ)王、継いでヴァースミトラが即位する頃にはギリシア人の侵攻も一段落し、その王[[アンティアルキダス]]などとの間に使節のやりとりも持たれるようになった。
 
以後の王については不明点が多く大雑把にしか分からない。最後の王[[デーヴァブーティ]]は大臣の[[ヴァースデーヴァ]](ヴァスデーヴァ)によって王位を奪われたが、その際の状況も詳しくは分からない。伝説によればデーヴァブーティは放蕩に耽る無能な王であったため、大臣ヴァースデーヴァはそれを利用して奴隷女を王妃に扮装させて暗殺させたという。
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*[[プシャミトラ]] (前185年頃 - 前149年頃)
*[[アグニミトラ]] (前149年頃 - 前141年頃)
*[[ヴァースジェーシタ]] (前141年頃 - 前131年頃)
*[[ヴァースミトラ]] (前131年頃 - 前124年頃)
*アンドラカ (ある文献ではバードラカ)(前124年頃 - 前122年頃)