「ジャンヌ・ダルク列聖」の版間の差分

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== 聖人への経路 ==
=== ジャンヌの死と15世紀 ===
宗教裁判所によって破門されたか、調査された他の聖人と同様に、(例えば[[アレクサンドリアのアタナシオス]]、[[アビラのテレサ]]と[[十字架のヨハネ]])ジャンヌは審問の法廷によって審理された。ジャンヌの場合は、法廷はルーアンの{{仮リンク|ヴィユ・マルシェ広場|fr|Place du Vieux-Marché)}}で彼女の処刑に至って、イングランド(北フランスを占領していた)によって影響されていた。
フランスが1449年にルーアンを取り戻したとき、一連の調査は開始された。ジャンヌの生存している家族、母の{{仮リンク|イザベル・ロメ|en|Isabelle Romée}}と2人の兄{{仮リンク|ピエール・ダルク|fr|Pierre d'Arc}}とジャン(オルレアンの包囲戦でジャンヌと共に戦った{{sfn|ペルヌー|2016|p=47}})は、教皇[[ニコラウス5世 (ローマ教皇)|ニコラウス5世]]に彼女の事件の再審を請願した。正式な訴えは、教皇[[カリストゥス3世 (ローマ教皇)|カリストゥス3世]]の庇護を受け、ジャン・ブレアル異端検察総監によって、1455年に行われた。イザベルは、ノートルダム大聖堂で上告事件を審理する裁判の開会式で熱のこもった訴えで彼女の娘の名誉を明らかにすることを求める演説した。 ブレアル異端検察総監は教会法に違反した法廷によって処刑された殉教者として記述した事件の証拠をまとめ、ジャンヌは1456年7月7日に解放された<ref>Pernoud, Regine. "Joan of Arc by Herself and Her Witnesses". Scarborough House, 1994; pp 268-269.</ref>。オルレアン市は1432年から毎年ジャンヌを記念し、1435年以降は、包囲の解除を中心とする宗教的な演劇を行った。その演劇は、ジャンヌが天使に導かれる神聖な救済者として表現されている。
 
=== 20世紀 ===
だが、聖人への道は順調に進まなかった。1902年8月20日、(ローマ法王による枢機卿の正式な会合){{仮リンク|教会会議|en|Papal consistory}}は[[聖人暦]]にジャンヌを加えることを拒否した。
{{quotation|「ジャンヌは[[パリ包囲戦 (1429年)|パリ包囲戦]]を[[聖母マリア]]の誕生日に開始した。彼女の捕獲は、「彼女が神から送られたという彼女の主張は虚偽だった」という「証明」である。彼女は牢から脱出しようとした。死で脅かされた後の彼女の放棄。そして、彼女の潔白対する疑い。」|<ref>[https://newspapers.library.in.gov/cgi-bin/indiana?a=d&d=IJ19020907.1.24 "Was Not Made a Saint: Why Consistory Refused to Canonize Joan of Arc"] ''[[Indianapolis Journal]]'' (7 September 1902), p. 12 ''newspapers.library.in.gov'' 25 March 2017</ref><ref>[https://books.google.com/books?id=srRCAQAAIAAJ&pg=PA612& "Joan of Arc Not to be Canonized"] ''[[Harper's Weekly]]'' (11 April 1903) Vol. XLVII; No. 2416, p. 610 [[Google Books]] 25 March 2017</ref>}}
 
1903年11月17日、ローマ教皇庁は、教皇ピウス10世の命令でジャンヌの根拠を議論するために会合する<ref>[http://newspapers.bc.edu/cgi-bin/bostonsh?a=d&d=BOSTONSH19031003-01.2.13 "Editorial Notes"] ''The Sacred Heart Review'' [[Boston College]] (3 October 1903) Vol. 30; No. 14, p. 5 ''newspapers.bc.edu'' 26 March 2017</ref><ref>[https://books.google.com/books?id=5bqKct7ChQYC&pg=PA845& "Notes"] ''[[The Tablet]]'' (28 November 1903) Vol. 102; No. 3316, p. 845 [[Google Books]] 26 March 2017</ref>。ジャンヌの英雄的な美徳を宣言する教令はセラフィーノ・クレトニ枢機卿によって1904年1月6日に発表され<ref>[https://books.google.com/books?id=iyc9KW3XoxMC&pg=PA90&lpg=PA90&dq=%22the+tablet%22+Cauchon+Callixtus&source=bl&ots=BIa8zc_sE3&sig=U0fVS5GcFONxyEkPN87idkmARV0&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjY0oKx3_LSAhVT3mMKHUsPAMgQ6AEIJzAB#v=onepage&q=%22the%20tablet%22%20Cauchon%20Callixtus&f=false "Joan of Arc - Her Heroic Virtue: Text of the Decree"] ''[[The Tablet]]'' (16 January 1904) Vol. 103; No. 3323, pp. 88-89 [[Google Books]] 26 March 2017</ref>、ピウス10世は1月8日にジャンヌを「[[尊者]]」と宣言した<ref>[https://books.google.com/books?id=AmQJAQAAIAAJ&pg=PA392& ''Life of His Holiness Pope Pius X''] by Josef Schmidlin and [[Anton de Waal]] (1904) [[RCL Benziger|Benziger Brothers]], p. 392 [[Google Books]] 26 March 2017</ref>。
 
列福式は1909年4月18日に行われ、セバスティアーノ・マルティネッリ枢機卿とマリアーノ・ランポッラガが主宰した。スタニスラス・トゥシェ司教が[[ミサ]]を執り行った。枢機卿セラフィーノ・ヴァンヌテッリ、 ピエール・アンドリュー、ルイス・ルソン、コージェ、ジローラモ・マリア・ゴッティ、ホセ・カラザック・ヴィーヴ・イ・トゥト、当時の高位聖職者の ラファエル・メリー・デル・ヴァル<ref>[https://books.google.com/books?id=855FAQAAMAAJ&pg=PA549&dq=%22joan+of+arc%22+%22knights+of+malta%22&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjB0buN8ebMAhUIw4MKHZfiAvMQ6AEIFDAA#v=onepage&q=%22joan%20of%20arc%22%20%22knights%20of%20malta%22&f=false "The Spectator"] ''[[The Outlook (New York)|The Outlook]]'' (3 July 1909) Vol. 92, pps. 548-550 [[Google Books]] 19 May 2016</ref>、ジョン・パトリック・ファレル司教、トーマス・ケネディ司教、高位聖職者のロバート・セトン、マルタ騎士団のトリブヌスの一員である伯爵ジュリオ・ポーロ-ランバンテンギ (ルイージ・ポーロ・ランバンテムの孫)、公爵アレンソンと[[エマニュエル・ドルレアン|ヴァンドーム公]]、当時の大司教であるウィリアム・ヘンリー・オコネル<ref>[https://news.google.com/newspapers?nid=gKLIUvgTho8C&dat=19090419&printsec=frontpage&hl=en "Pilgrims Honor Maid of Orleans"] ''[[Cape Girardeau, Missouri|The Daily Republican]]'' (19 April 1909), p. 2 [[Google News Archive]] 24 February 2017</ref>、そして、[[ヘンリー・フィッツアラン=ハワード (第15代ノーフォーク公)|ノーフォーク公]]<ref>[http://trove.nla.gov.au/newspaper/article/58274530 "The Beatification of Joan of Arc" ''[[The Age]]'' (20 April 1909)] via ''The Kilmore Free Press'' (24 June 1909) p. 1 [[Trove]] 24 February 2017</ref>が出席した。その式典が正統王朝主義者によってフランス第三共和制を攻撃するために使われることはないと決定したピウス10世は<ref>[https://books.google.com/books?id=-TMiAQAAIAAJ&pg=PA601&lpg=PA601&dq=beatification+Joan+of+Arc&source=bl&ots=CQBQBar6tF&sig=Ep8Ae4r8W-T6mFsIV9mRQHsHWRE&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwial-XSsNDUAhUB32MKHeICDXg4HhDoAQhCMAY#v=onepage&q=beatification%20Joan%20of%20Arc&f=false "The Beatification of Joan of Arc"] ''[[Current Literature]]'' vol. XLVI no. 6 (June 1909) pps. 601-603 [[Google Books]] 21 June 2017</ref>、午後に70人のフランスの高位聖職者の側で聖遺物を崇敬した<ref>[https://news.google.com/newspapers?nid=Fr8DH2VBP9sC&dat=19090419&printsec=frontpage&hl=en "The Maid of Orleans: Joan of Arc Beatified and The Pope Venerates the Relics"] ''[[Montreal Gazette]]'' (19 April 1909), p. 4 [[Google News Archive]] 18 October 2016</ref>。
[[File:Jeandarc-03can 1920-praying.jpg|thumb|ジャンヌ・ダルク列聖式(1920年5月16日)]]
 
ジャンヌの列福は、フランスの鋳造された硬貨と記念メダイの作成を容易にするジャンフィア転写彫刻機(ダイ彫刻パンタグラフとも呼ばれる)の発明とほぼ一致した。この発明は、既に確立されたフランスの彫刻の伝統とともに、ジャンヌの列福に新たな要素を追加した。ジャンヌの人生からの場面を主としたセットのよく作られた宗教芸術のメダイである。
 
第一次世界大戦中、フランス軍はジャンヌの肖像画を戦場に持ち込んだ。ある戦闘中に、彼らは低雲に投射されたドイツ軍のサーチライトの形をジョアンの出現と解釈し、彼らの士気を大幅に強化した<ref>The Maid of Orléans:The Story of Joan of Arc Told to American Soldiers by Charles Saroléa, Georges Crès & Cie (1918)</ref>。
 
ジャンヌの列聖は1920年5月16日に行われ、ジャンヌの家族の子孫140人を含む60,000人以上がこの式に出席した。
ヴァンドーム、マルタ騎士団のランバンギ、現在の司教オコネル、ガブリエル・ハノトウ、[[ジナイダ・ユスポヴァ]]公女、[[イリナ・アレクサンドロヴナ]]公女、[[フョードル・アレクサンドロヴィチ]]皇太子、[[ミゲル2世・デ・ブラガンサ]]公、サリス・ソグリオ伯爵、ラファエル・ヴァレンティン・エラズリーツ、ディエゴ・ヴォン・ベルゲン、ジョン・パトリック・キャロル司教、エドワード・ジョセフ・ハンナ大司教、ダニエル・メアリー・ゴーマン司教、ローマのアメリカンカレッジの学生自治会のポール・ジョセフ・ナスバウム司教、[[サン・ピエトロ大聖堂]]に入り、儀式を主宰した教皇ベネディクトゥス15世を歓迎した現在の枢機卿メリー・デル・ヴァル、といった高位の人々が含まれる。ジャンヌの列聖をもたらす教皇ベネディクトゥス15世の教皇勅書は、同日付の『ディヴィナ・ディスポネンテ』である<ref>Pope Benedict XV, ''Divina Disponente'' (Latin), 16 May 1920, http://w2.vatican.va/content/benedict-xv/la/bulls/documents/hf_ben-xv_bulls_19200516_divina-disponente.html.</ref>。およそ10万人の人々が、ロンドンの[[ウェストミンスター大聖堂]]とフランスの教会で祝った<ref>[https://news.google.com/newspapers?nid=hqOjcs7Dif8C&dat=19200517&printsec=frontpage&hl=en "Maid of Orleans is Made a Saint"] ''[[The Toronto World]]'' (17 May 1920), p. 11 [[Google News Archive]] 19 May 2016</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?nid=ZWXmI6zqLYMC&dat=19200517&printsec=frontpage&hl=en "Joan of Arc is Decalred Saint in Ceremony by Church at Rome"] ''[[The Bakersfield Californian]]'' (17 May 1920), p. 2 [[Google News Archive]] 19 May 2016</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?nid=Aul-kAQHnToC&dat=19200517&printsec=frontpage&hl=en "Impressive Ceremonies Used in Canonizing Joan of Arc"] ''[[The Deseret News]]'' (17 May 1920), p. 8 [[Google News Archive]] 19 May 2016</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?nid=aEyKTaVlRPYC&dat=19200517&printsec=frontpage&hl=en "Joan of Arc is Exalted by Pope"] ''[[Telegraph-Herald]]'' (17 May 1920), pps. 1,8 [[Google News Archive]] 21 May 2016</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?nid=Fr8DH2VBP9sC&dat=19200517&printsec=frontpage&hl=en "Remarkable Scene: 100,000 Watched Great War Pageant in London"] ''[[Montreal Gazette]]'' (17 May 1920), p. 1 [[Google News Archive]] 22 May 2016</ref>。