「ノート:エホバの証人」の版間の差分

 
:::出典として追加できそう記事を見つけました。『[http://biz-journal.jp/2013/10/post_3059.html エホバの証人 乱れた道徳観に、増加する児童虐待(ビジネスジャーナル)]』ご報告だけさせていただきます。--[[利用者:Shingo.a|Shingo.a]]([[利用者‐会話:Shingo.a|会話]]) 2018年5月19日 (土) 11:18 (UTC)
 
== 社会的側面の兵役拒否の箇所について ==
 
『「戦いを学ばない」([[s:ミカ書(口語訳)#4:3|ミカ書(口語訳)#4:3]])([[s:イザヤ書(口語訳)#2:4|イザヤ書(口語訳)#2:4]])』という風になっている箇所ですが、実際に聖書を見ると、裁きが行われた後にそうなるとしているのが聖書の記述である事がお分かりいただけるかと思います。[[新世界訳聖書]]でも表現は違いますが意味は同じです。
 
{{Quotation|彼は多くの民の間をさばき、遠い所まで強い国々のために仲裁される。そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。|[[s:ミカ書(口語訳)#4:3|ミカ書4章3節(口語訳)]]}}
 
{{Quotation|彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。|[[s:イザヤ書(口語訳)#2:4|イザヤ書2章4節(口語訳)]]}}
 
つまり、まだ裁きが行われていない現在は、戦いを学ばない時ではない、という事も分かるはずなのですが、なぜかその点に触れているエホバの証人の出版物や公開講演などは、ボクの記憶する限りでは存在しません。なぜ裁きの後には戦いを学ぶ必要が無くなる、という聖句を使って、現在戦いを学ばない、と解釈するのか分かりません。どなたかご存知でしょうか?--[[利用者:Shingo.a|Shingo.a]]([[利用者‐会話:Shingo.a|会話]]) 2018年5月19日 (土) 12:03 (UTC)
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