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{{See also|正教会|東ローマ帝国}}
[[画像:HagiaSophiaelevationS.jpg|left|275px|thumb|[[アヤソフィア|アギア・ソフィア大聖堂]]。[[ビザンティン建築]]の典型であり、[[正教会]]を受容した地域に広まった]]
[[東ローマ帝国]]はローマ帝国分裂後も1000年近く命脈を保ったため、周囲の[[東ヨーロッパ]]、[[バルカン半島]]地域のキリスト教化によるヨーロッパ世界の展開は東ローマ帝国と[[正教会]]と移住してきた[[スラヴ人]]との闘争と融和よって進行されていった。
 
初期の東ローマ帝国の皇帝は西ローマ帝国での西方正帝の消滅後、「ローマにかわる第二のローマ」として「[[地中海帝国]]」の復活を目指した。[[ユスティニアヌス1世|ユスティニアヌス]]帝のころ、ローマ帝国の領域をほぼ征服することに成功、地中海帝国の再興にこぎつけた。しかし、神聖ローマ帝国の成立や[[ヴァイキング]]の侵攻、スラヴ人の流入、[[イスラム世界]]の勃興など外部的要因で地中海帝国の維持には失敗し、[[ヘラクレイオス王朝]]の頃には[[ギリシア人]]の帝国として東ローマ帝国は[[バルカン半島]]、[[東ヨーロッパ]]地域の征服およびキリスト教の布教に専念するようになった。
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