「フィリピンの戦い (1944年-1945年)」の版間の差分
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ゲリラと無関係な一般市民との区別は容易ではなかったため、日本軍による討伐作戦の途中で虐殺事件がおきることも多々あった。
一方、フィリピン市民は必ずしもすべてが対日武装勢力に与したというわけではなく、日本が[[1943年]][[10月14日]]に独立政府([[ホセ・ラウレル]]政権・フィリピン第二共和政)を設立するなどフィリピン[[宣撫工作]]により親日派の市民たちも存在した。また日本軍は[[マカピリ]]と呼ばれる武装組織(約5600名)を作り<ref group="注釈">
なお、これらの親日派武装勢力は戦後に特赦され、軍事裁判に問われないものとされた(もっともいわゆる私刑の類はあった)。
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