「テリー伊藤」の版間の差分

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5人兄弟の末っ子。自身の[[本籍地]]は父の出身地である[[千葉県]][[山武郡]][[横芝光町]]であり、テリー自身も横芝光町に寿陵([[生前墓]])を購入している<ref>{{PDFLink|[http://yokoshiba-hikari.com/seinenbu/wahashio/wakashio1802.pdf 横芝光町と私]}} 横芝光町光商工会青年部広報紙『わかしお』平成18年度第2号</ref>。父の武太郎は彼の父(テリーの祖父)が結婚前に付き合っていた女性との間の子供で、長らく[[九十九里町]]の親戚に預けられて育っその彼妻と間に子供[[食堂]]いなら転身った実父に跡取りとして興した呼び戻され、築地市場の玉子焼き店を継がせるべく呼び戻されで修行した。母親の鳥海なみ子(旧姓鳥海なみ子は房総半島の先端にある白間津(現在の[[南房総市]]内)で[[海人|海女]]の母と[[カジキ]]の[[銛|突きん棒]]漁の[[船主]]の父の子供として富貴な子供時代を過ごしてい家系に生まれたが、鳥海所有の船団北海道の[[浦河町]]沖で[[台風]]に遭い船を失って没落。程なく父も亡くしたため、東京に仕事奉公に出た先で。1936年、武太郎は火事に遭い、そこの現場で出会った武太郎なみ子数日後に[[自転車]]に轢かれ偶然を装っ接近まい(武太郎の[[故意]]であ、交際す)、それが馴れ初めで結婚ようになった。武太郎の父から結婚を反対された為、当初は鳥海家に[[駆け落ち]]しており、家業を続ける為た(後に武太郎の父が仕方なく夫婦から結婚の許し呼び戻し経緯がある。[[戦後]]しばらくは[[GHQ]]玉子の入手築地を[[洗濯]]などの工場街にしてい困難だっ事もあってことから、武太郎は玉子焼き店を閉め、知人の伝手で練り物工場勤めをしていたが、なみ子の「将来は寿司がたくさん売れる」という強い意見から玉子焼き屋説得で店を再開し今に至っている<ref>{{Cite web | url = https://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/23759/794615/ | title = テリー伊藤〜たまご焼きの絆 250年前の古文書〜 | work = [[ファミリーヒストリー]] 2014年10月2410日放送 | publisher = [[Goo#情報提供サービス|Gooテレビ番組]] | date = | accessdate= 2018-05-20 }}</ref>。
 
『元気が出るテレビ』『お笑いウルトラクイズ』当時を知る[[ダンカン]]や[[浅草キッド]]曰く、短気な性格で、仕事や芸に対しては非常に厳しい姿勢で臨んでいたという。「元気が出る―」では、企画書が「眼差し10秒で秒殺され、テリーさんの怒りと共に会議室に差し戻される日々であった」<ref>[[水道橋博士]]『藝人春秋』197頁、2012年12月5日、文藝春秋社</ref>。スタッフや若手芸人を怒鳴り付けたり、時には鉄拳や蹴りが出ることも度々あったそうで、当時は「'''ケリー(蹴りー)伊藤'''」と呼ばれ恐れられていたとの事。