「アメリカンフットボール」の版間の差分

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現在の形式のアメリカンフットボールは、1874年に行われたハーバード大学とマギル大学の試合に由来する。当初は原始フットボールのルールで行われていたが、ボールの所有権の曖昧さなどから、アメリカ独自のフットボール開発の気運が高まった。
 
1876年、ラグビー選手として活躍していた、のちにアメリカンフットボールの父と呼ばれるエール大の{{仮リンク|ウォルター・キャンプ|en|Walter Camp}}の呼びかけによりマサソイト会議([[コネチカット州]])が開かれ、基礎的なルールが決められた<ref name="footballlovecall"/>。この時に制定されたルールの内、現存するのは、
*フィールドでプレーするのは1チーム11人ずつ。
*第4ダウンの攻撃で10ヤード進めなければ攻撃権を失う。
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[[20世紀]]に入ると、このスポーツでの負傷や事故の多さ(死亡事故も含む)が社会的問題となった。時には「殺人ゲーム」と呼ばれるほど粗野で野蛮なゲームであったため、次第に世間からの非難の声が高まっていった<ref name="perfectamericanfootball1">{{Cite journal |和書 |author=久保田薫|publisher=南雲堂 |year=1989|month=1|title=1. アメリカのNo.1スポーツはサッカーだった?|journal=改定新版 パーフェクトアメリカン・フットボール|pages=293-294}}</ref>。1905年10月、この事態に時の[[セオドア・ルーズベルト]]大統領は[[ホワイトハウス]]にエール大、ハーバード大、プリンストン大の各責任者を招集してフットボールの健全化を要求、この競技をもっと安全でクリーンなものにするか、さもなければ禁止するよう意見した<ref name="perfectamericanfootball1"/>。事実、コロンビア大学は、もっと安全になるまで事態をうかがうということで10年間活動を中止、[[ノースウェスタン大学]]は1年間棄権、[[スタンフォード大学]]と[[カリフォルニア大学]]はラグビーに転向してしまった<ref name="perfectamericanfootball1"/>。さらに悪いことに、その年の暮れに[[シカゴ・トリビューン]]紙によってフットボールの試合で18人が死亡し、154人以上が重傷を負っていることが報道され、競技への非難は頂点に達した<ref name="perfectamericanfootball1"/>。議会では廃止論が叫ばれ、コンタクトが少なく安全なサッカーに転向すべきだという意見が噴出した<ref name="perfectamericanfootball1"/>。1906年1月21日、関係者たちはさっそくルールを改正すべく集まりを持った<ref name="perfectamericanfootball1"/>{{refnest|group=注|このルール委員会が後の[[NCAA]](全米大学体育協会)に発展し、大学スポーツの管理が始まった<ref name="footballlovecall"/>。}}。ウォルター・キャンプを中心としたこのルール委員会は、フォワード・パスを認め、ニュートラル・ゾーンを設け、これまで3rdダウンで5ヤードを10ヤードに変更、試合時間も70分から60分に減らした<ref name="perfectamericanfootball1"/>。その後、1912年までの間にさらにルールは変わっていった<ref name="perfectamericanfootball1"/>。フィールド・ゴールによる得点は4点から3点に、タッチダウンは5点から6点に変更、フライング・タックルや不正な手や腕及び体の使用の禁止、スクリメイジライン上に7人の選手が位置することの義務付けなどが行われ、これらの改革によって集団で襲いかかるような野蛮な行為は影をひそめ、現在のルールの基本が出来上がった<ref name="perfectamericanfootball1"/>。安全面に配慮したルール改定に加え、負傷軽減のための防具の整備<ref group="注">プロテクター類。初期のものは薄手で軽いものだったが、時代とともに頑丈になって行った。</ref>も行われた。
 
1913年、[[アメリカ陸軍士官学校]]対[[ノートルダム大学]]戦において、ノートルダム大学の{{仮リンク|ガズ・ドライズ|en|Gus Dorais}}と{{仮リンク|ヌート・ロックニー([[:|en:|Knute Rockne]])}}がパスプレーを繰り出し、ランプレーと効果的に織り交ぜ、それまでほとんどランプレーだけだったアメリカンフットボールの戦術において革命を起こした。40ヤードのタッチダウンパスを皮切りに、ノートルダム大学が得た5TDはすべてパスプレーによるもので、35-13で圧勝した。パスプレー(1回のみ前方にパスができるルール)自体は1906年から認可されていたが、それまでは限定的にしか使用されていなかった<ref group="注">この歴史的ゲームは陸軍士官学校を舞台とした映画「[[長い灰色の線]]」の中で、当時最強チームの陸軍士官学校が無名のノートルダム大学に、まさに見たこともない新戦術によって大敗して呆然とするというエピソードで取り上げられている。</ref>。
 
===NFLの歩み===