「全日空羽田沖墜落事故」の版間の差分

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== 備考 ==
* 1966年の5連続事故の最初の事故である(他の4つは[[カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故|カナダ太平洋航空機墜落事故]]・[[英国海外航空機空中分解事故|BOAC機墜落事故]]・[[日本航空羽田空港墜落事故]]・[[全日空松山沖墜落事故]]である)。
* 前述のアメリカ国内で発生した3件の同型機事故であるが、そのうち2件は(11月8日に発生した[[:en:American Airlines Flight 383{{仮リンク|アメリカン航空383便墜落事故]]|en|American Airlines Flight 383 (1965)}}・11月11日に発生した[[:en:United Airlines Flight 227{{仮リンク|ユナイテッド航空227便墜落事故]]|en|United Airlines Flight 227}})パイロットの不適切な操縦が事故を招いたと推定されている。しかし8月16日に発生した[[ユナイテッド航空389便墜落事故|ユナイテッド航空389便事故]]は、全日空と同様に着陸しようとして空港手前の[[ミシガン湖]]に墜落したが、最終的に原因不明とされた。
* 全日空遭難機の遺体捜索では、翌月([[1966年]][[3月5日]])に[[海上保安庁]]の[[ヘリコプター]]が墜落して二次遭難事故が発生し、乗員3名が死亡した。なお、同機は南極において[[タロとジロ]]を発見した機体の一つであり、3名のうちの1人はその時のパイロットだった。
* [[佐渡ヶ嶽部屋]]の幕内力士だった[[長谷川勝敏]]([[四股名]]・長谷川、後の[[年寄]]・秀ノ山)は、この60便で[[札幌市|札幌]]から[[東京]]へ帰る予定だったが、札幌市内でたまたま旧友と久々に会い、搭乗を取りやめたため奇跡的に難を逃れた<ref>[http://tsubotaa.la.coocan.jp/seki/m04.html#064 関脇以下名力士列伝]相撲評論家之頁</ref>。