「四国連続強盗殺人事件」の版間の差分

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== 犯人歴 ==
犯人Mは[[高知県]][[長岡郡]]で[[1921年]]に生まれ、[[義務教育]]を終えると各地の飯場で作業員として働いていたが、20歳の時に「規則正しい生活は嫌だ」という動機から、当時[[大日本帝国憲法]]で国民の義務とされていた[[徴兵]]検査を受けず逃亡した。しかし当時の[[日本]]は[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]])の最中であり、時局柄許されない状況であった。そのため[[懲罰]]覚悟で出頭し兵役に就く事になった。[[1944年]][[2月]]に[[高知県]]の[[歩兵第44連隊|第44連隊]]に入営したが、部隊内の[[いじめ]]に耐え切れなくなり部隊を脱走し[[軍法会議]]にかけられた。軍法会議の最中にMは拘禁先で[[看守]]を負傷させ[[脱獄]]を図ったため、[[殺人罪  (日本)#未遂|殺人未遂]]で[[無期懲役]][[判決]]を受け、[[終戦]]を[[広島刑務所]]で迎えた。
 
その後、Mは[[恩赦]]により減刑され[[1956年]][[6月]]に[[仮出獄]]したが[[ギャンブル]]にはまり、強盗や[[窃盗]]を繰り返し[[刑務所]]送りとなり、[[高松刑務所]]を仮出獄したのは[[1963年]][[9月25日]]であった。
 
== 事件の概要 ==
Mは出所後実家に戻っていたが、仮出獄2日目にぶらりと実家を当てもなく出て行き、強盗殺人を連続して引き起こす事になった。まず[[10月2日]]に高知県[[中村市]](現在の[[四万十市]])で[[食料品]]店を物色し家人を刺して[[逃亡]]、[[10月9日]]に高知県[[高岡郡]]の[[小学校]]用務員室に侵入し[[学校用務員|用務員]]を[[斧]]で殺害し350円を奪い逃走、[[10月14日]]深夜に[[徳島県]][[三好郡]](現在の[[三好市]])の[[浄水場]][[管理人]]の自宅に侵入し一家6人を斧でめった打ちにし5人を殺害、管理人の自宅から10Km10km北にある[[日本国有鉄道|国鉄]][[坪尻駅]]前にある雑貨商に押し入り、[[現金]]2000円と店の[[菓子]]を奪って逃走した。
 
この一連の犯行を同一犯によるものとみなした[[警察]]は大規模な山狩りをしたが、Mは[[香川県]]に逃亡しており[[10月20日]]に香川県三豊郡(現在の[[三豊市]])の雑貨商に押し入り雑貨商夫婦を負傷させ現金170円と[[衣類]]を奪った。そのため[[四国管区警察局]]は10月21日から香川・[[愛媛県|愛媛]]・徳島の3県合同で[[機動隊]]員や[[消防団]]員を動員して3県の[[県境]]の山間部を[[捜索]]、[[10月22日]]にMの身柄を確保した。