「栗城史多」の版間の差分

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(生前の段階では21日放送予定、死因はまだ不明)
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|現況 =
|没年月日 ={{死亡年月日と没年齢|1982|6|9|2018|5|21}}
|死没地 =ネパール エベレスト山麓 C2 <ref>[https://thehimalayantimes.com/nepal/japanese-climber-nobukazu-kuriki-found-dead-on-mt-everest/  Nobukazu Kuriki has been found dead at Camp II on Mt Everest]The Himalayan Times</ref>
|死因 =
|遺体発見 =
|公式サイト = [http://kurikiyama.jp/ kurikiyama.jp]
|補足 =
}}'''栗城 史多'''(くりき のぶかず、[[1982年]][[6月9日]] - [[2018年]][[5月21日]])は、[[日本]]の[[登山家]]<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2017859/full/ 栗城史多氏、エベレスト登頂断念  4度目山頂アタックも無念の下山(オリコンスタイル)]</ref>、[[起業家]]。株式会社たお代表取締役(個人事務所)。[[北海道]][[瀬棚郡]][[今金町]]出身<ref name="zanon">[[ザ・ノンフィクション]]・『山のバカヤロウ2登山家  栗城史多』、[[フジテレビジョン]]、2012年5月6日放送</ref>。[[北海道檜山北高等学校]]<ref>[http://www.econakoto.net/kuriki/article/186
]{{deadlink|date=2018年5月}}</ref>、[[札幌国際大学]]人文社会学部社会学科卒業<ref>[http://www.siu.ac.jp/06shushoku/old/2141.html 卒業生(栗城史多)のインタビュー記事・2007年] 札幌国際大学、2011年3月10日閲覧。</ref>。[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]と2011年9月から業務提携<ref>[http://career.oricon.co.jp/news/2001095/full/ 登山家・栗城史多氏が吉本と業務提携  3度目のエベレスト遠征へ 2011年08月25日] オリコンランキング、2012年1月11日閲覧。</ref><ref>[http://yoshimotonews.laff.jp/news/2011/08/post-a4de.html エベレスト無酸素・単独登頂に挑戦する登山家・栗城史多さんがよしもとと業務提携!! 2011年8月25日] よしもとニュースセンター、2012年1月11日閲覧。{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]地域で高所登山を行っている。[[エベレスト]]には単独無酸素登頂と頂上からの[[インターネット]]生中継<ref group="注">テレビ放送における世界初の[[エベレスト]]山頂衛星生中継は1988年5月5日に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[チョモランマ]]登山調査隊によって行なわれた。</ref>を目指し、2009年9月[[チベット]]側、2010年9月[[ネパール]]側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退<ref group="注">登山用語で、登頂をあきらめて引き返すこと。</ref>。2011年8月 - 10月に前年と同じネパール側から3度目の挑戦をしたがサウスコル7900mに達せず敗退。2012年10月に西稜ルートから4度目の挑戦も強風により敗退。この時に受傷した[[凍傷]]により、のちに両手の指9本を切断。2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念。下山中の同月21日にキャンプ2近くで死亡した<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASL5P56XSL5PUTQP019.html|title=登山家・栗城史多さん死去  8度目のエベレスト挑戦中|newspaper=朝日新聞|date=2018-05-21|agency=朝日新聞社|accessdate=2018-05-21}}</ref>。
 
== 経歴 ==
「元[[ニート]]」 「元[[引きこもり]]」 を自称しているが<ref>[http://kurikiyama.jp/profile_2011.html 栗城史多公式サイト  プロフィール] 2011年8月11日閲覧。</ref>、これはあくまでキャラクター作りのための設定であり、実際にはそのどちらでもない<ref>著書一歩を越える勇気 実際には高校卒業後に1年間の[[フリーター]]生活をしている。</ref><ref name="AERA">[http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=8392 AERA2007年10月1日増大号] [[朝日新聞]]、2011年1月27日閲覧。</ref>。「元ニート」を名乗るようになったきっかけは、栗城の全国デビューとなる企画に、[[電波少年]]で知られる[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]プロデューサーの[[土屋敏男]]がニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤというタイトルをつけたためである<ref>[http://www.faustx.jp/interview/interview016.php 栗城史多のインタビュー記事] ファウストA.G.、2011年8月11日閲覧。</ref>。
* [[1982年]][[6月9日]] - [[北海道]][[瀬棚郡]][[今金町]]に生まれる。
* [[2002年]]年末 - [[中山峠]]から[[小樽市]]の[[銭函]]まで、1週間程度の雪山([[標高]]1,000[[メートル|m]]前後)の年越し縦走を行った。
* [[2007年]]5月 - [[チョ・オユー]](世界第6位高峰 8,201m)登頂。7,700m地点からスキー滑降した。
** 12月 - [[ビンソンマシフ]]([[南極大陸]]最高峰 4,892m)登頂。
* [[2008年]]10月 - [[マナスル]](世界第7位高峰 8,163m)に「無酸素」「単独」登頂したと主張するが、[[エリザベス・ホーリー|ヒマラヤン・データベース]]、[[日本山岳会]]の双方から登頂を認定されていない<ref name="Hawley1">[http://www.himalayandatabase.com/2008%20Season%20Lists/2008%20Autumn%20A9.html Autumn 2008 Manaslu continued] HimarayanDatabase  ** indicates fore-summit only[http://www.himalayandatabase.com/2008%20Season%20Lists/2008%20Autumn%20A7.html]</ref><ref>[http://jac.or.jp/info/shiryou/8000japan08feb.pdf Japanese 8000m Climbers List(pdf文書)] 日本山岳会公式サイトからのリンクは[http://jac.or.jp/info/shiryou/sibuhakoubutu2.html]の右欄の「8000m峰登頂者リスト」。</ref>。
* [[2009年]]5月 - [[ダウラギリ]](世界第8位高峰 8,167m)登頂。インターネット生中継を行う。
** 9月 - [[チョモランマ]]・北稜北壁メスナールート(世界最高峰 8,848m)登頂を目指したが、グレートクーロワールに達せず、体力の限界により7,950mで敗退。
* [[2010年]]5月 - [[アンナプルナ]](世界第10位高峰 8,091m)登頂を目指したが、7700mで敗退。
** 8月末から - 2度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが、C4サウスコル7,900mに達することができず7,750mで敗退。この挑戦では栗城隊のシェルパが1人死亡している<ref>[http://megalodon.jp/2011-0908-2113-15/ameblo.jp/kurikiyama/entry-10630611925.html 栗城史多オフィシャルブログ 2010-08-26] (ウェブ魚拓) 2012)2012年5月14日閲覧。</ref>。
** 12月 -登山とインターネットを結んだ功績が評価され、ファウスト大賞を受賞<ref name="zanon"/> 。
* [[2011年]]5月 - [[シシャパンマ]](世界第14位高峰 8,013m)の登頂を目指したが体調不良により敗退。南西壁から7600m地点まで<ref>[http://everest.kurikiyama.jp/profile/ 「EVEREST SHARE」プロフィール] </ref>。
** 8月末から - 3度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが敗退。7800m地点で食料などを埋め、一度ベースキャンプに戻り体調を整えて頂上アタックを目指したが、埋めておいた食料を[[キバシガラス]]に荒らされたため登頂を断念したと発表した<ref name="zanon"/>。このアタック開始の際には事前に予定していたC3でのキャンプ設営、馴化のための宿泊をしておらず、大きくルートを外れた雪の斜面に荷物をデポしていた<ref>[http://everest.kurikiyama.jp/news/archives/1076.html 公式サイト  News]</ref>。この挑戦では同行スタッフであるフリーカメラマンの木野広明が死亡している<ref name="ori">{{cite news|title =エベレスト登頂控える登山家・栗城史多さんの同行カメラマンが死亡 |url =http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2001878/full/|publisher = [[オリコン|oricon]]|date = 2011年9月16日| accessdate = 2012年5月6日}}</ref>。死亡原因はくも膜下出血であった<ref name="zanon"/>。
* [[2012年]]5月 - シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退。下山中に滑落して負傷し、救助に向かったシェルパと共に下山したと発表した<ref>[http://kurikiyama.jp/news/topics_ensei/902.html シシャパンマ南西壁遠征情報(本人の公式サイト)]</ref> <ref>[http://kurikiyama.jp/news/topics_ensei/903.html 無事に下山いたしました(本人の公式サイト)]</ref>。なお、序盤の荷上げの際にガレ場で転倒し膝を故障<ref>[https://twitter.com/kurikiyama/status/202757253328150528 栗城史多5月16日のツイート]</ref>、一旦アタックステージに入りながらロープを取りにベースキャンプに戻り<ref>[https://twitter.com/kurikiyama/status/207345486733127681 栗城史多5月28日のツイート]</ref>数日浪費するなどの失態を連発。スケジュールが逼迫する中で6000m以上の高度で宿泊する高地順応作業も行わず、当初予定していたC1(6700m地点)、C2(7500m地点)などの中間キャンプの設営も行わないまま深夜の最終アタックに出ていた<ref>[http://www.facebook.com/kurikiyama/app_302523066490833 栗城史多Facebookシシャパンマ南西壁遠征情報]</ref>。
**8月末から - 4度目の挑戦となるエベレスト・西稜ルートで登頂を目指したが7700mで敗退<ref name="Yamakei">『[[山と渓谷]]』2012年12月号 P139</ref><ref name="RockSnow">『[[ROCK & SNOW]]』No,058 P50</ref>。C2(6400m)地点で人差し指が[[凍傷]]に罹患していたにも拘らず登山を続行<ref>『ノーリミット 終わらない挑戦』(NHK)2012年12月23日放送</ref>。当初予定していた地点より500m低い7500m地点のC4から最終アタックに出たものの強風のため撤退。凍傷が悪化しC4からの下山が不可能になったため救助を要請し、シェルパによりC2まで下ろされた後、ヘリコプターでカトマンズの病院に搬送された<ref name="Yamakei"/><ref name="RockSnow"/>。
* [[2013年]]11月から[[2014年]]1月にかけて、2012年に受傷した凍傷のため両手指9本を切断。<ref group="注">自身のFacebookで「凍傷で9本の指を失ってからの…」とある。[https://www.facebook.com/kurikiyama/posts/838999139465738 栗城史多Facebook]</ref>
* [[2014年]]7月24日 - [[ブロード・ピーク]](世界第12位高峰 8,047m)登頂。
* [[2015年]]8月末から - 5度目のエベレスト登山に挑み、南東稜ノーマルルートからの登頂を目指したが、サウスコル付近で敗退<ref>[http://lineblog.me/kuriki/archives/1041311015.html 理性と出発] 栗城史多 公式ブログ、2016年1月4日閲覧。</ref>。
* [[2016年]]5月 - アンナプルナ、6300mで敗退。
** 9月より6度目のエベレスト登山。9月2日にベースキャンプに入り、「北側(中国)のグレート・クーロワールをアドバンス・ベースキャンプ(通称ABC)から氷河を登りつめ、傾斜の緩い壁に入り、そこからダイレクトに山頂を目指す」<ref>[http://lineblog.me/kuriki/archives/cat_1201485.html ルート発表!] 栗城史多 公式ブログ、2016年10月16日閲覧。</ref>としていたが7400mで敗退。敗退に際しては「秋は風と雪が多く条件が難しいので、次回は雪が少ない厳冬期を考えている。」「持参した[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]は7500m以上だとズレが大きく、また重量軽減の理由もあり途中から使用を中止した。」<ref>[https://www.facebook.com/kurikiyama/videos/1284344158264565/ 栗城史多Facebook]動画、2016年10月16日閲覧</ref>と語った。
* [[2017年]]春 - 中国側からエベレスト北壁に挑むとしていたが、遠征後半にネパール側に移動するなどルートを二転三転し、最終的に5月29日にネパール側ノーマルルートの6800m付近まで登った直後に断念した。
* [[2018年]][[5月21日]] - 8度目のエベレスト単独登山中に体調を崩し標高7400m付近より下山。キャンプ2付近にいた撮影隊がルートを登って捜索したところ、死亡している栗城の遺体を発見した。35歳没。同行したシェルパ4人が確認した<ref>[https://thehimalayantimes.com/nepal/japanese-climber-nobukazu-kuriki-found-dead-on-mt-everest/  BREAKING: Japanese climber Nobukazu Kuriki found dead on Mt Everest]The Himalayan Times</ref>。同日、株式会社たおは栗城が遺体で発見されたことを発表した<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/05/21/kiji/20180521s00041000232000c.html|title=指を9本失った登山家・栗城史多さん死去  35歳  8度目エベレスト挑戦も下山途中に|newspaper=スポニチアネックス|date=2018-05-21|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2018-05-21}}</ref>。同日に[[AbemaTV]]での登山生放送を予定していた<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/05/21/kiji/20180521s00041000232000c.html|title=指を9本失った登山家・栗城史多さん死去  35歳  8度目エベレスト挑戦も下山途中に|newspaper=スポニチアネックス|date=2018-05-21|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2018-05-21}}</ref>矢先での[[遭難]]だった。
 
== 登山活動について ==
一般的に登山界で言われる「単独登頂」とは、登山の行程の全てを一人で行い、初登頂者のベースキャンプを基準にしてベースキャンプより上で他者からのサポートを一切受けず、あらかじめ設営されたキャンプ、固定ロープ、ハシゴ等も使わずに登ること([[アルパインスタイル]])を指す<ref group="注">より正確には、単独登山は通常、登山装備をもたないポーターや荷揚げの[[ヤク]]がそれ以上登って来られない、または進入を許可されていない地点から始まる。例えばヒマラヤのチベット側から登る山では、前進ベースキャンプ(ABC)まで誰でも登れるトレッキング水準のなだらかな斜面が続いていることがあり、ABCまでサポートを受けても単独と認められることがある(チョモランマやチョ・オユーなど)。</ref>。栗城の言う「単独」登頂とは、ベースキャンプから自らの荷物を全て背負い登頂することのみを指すため<ref group="注">出典は栗城のブログおよび公開されている動画</ref><!--具体的な詳細のリンク先の提示が望ましい-->、[[アルピニズム]]の見地から評価される「単独登頂」とは異なる。栗城は他の登山隊が設置した固定ロープ等を使って登頂している。また[[ヒマラヤ]]登山の際には、'''栗城隊'''と呼ぶ大規模なサポート隊を編成し<ref>[http://www.faust-ag.jp/individual/faust-agawards2009.php#!/interview/interview023.php 栗城史多のインタビュー記事] ファウストA.G.、2011年1月8日閲覧。</ref>、[[シェルパ]]が固定ロープ設置などのルート工作やキャンプ設営を行い、無線により気象情報や行動計画などのサポートを受けて登っている([[極地法]]と呼ばれる)。なお栗城は、[[キリマンジャロ]]や[[エベレスト]]などで過去に数回、自力下山が困難になり、シェルパやポーターに救助されている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/058/1.htm 読売新聞 北海道発 2005年10月14日] 2005年キリマンジャロ、2011年6月23日閲覧。</ref><ref>[http://ameblo.jp/kurikiyama/entry-10265565758.html 栗城史多オフィシャルブログ 2009-05-21][http://megalodon.jp/2011-0618-1945-04/ameblo.jp/kurikiyama/entry-10265565758.html (魚拓)] 2009年ダウラギリ、2011年6月23日閲覧。</ref><ref>[http://ameblo.jp/kurikiyama/day-20100520.html 栗城史多オフィシャルブログ 2010-05-20][http://megalodon.jp/2011-0604-0147-54/ameblo.jp/kurikiyama/day-20100520.html (魚拓)] 2009年チョモランマ、2010年アンナプルナ、2011年6月23日閲覧。</ref><ref>[http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/pages/25.html 2010年エベレストまとめ] 2010年エベレスト、2011年6月23日閲覧。</ref>。2015年のエベレストに際しては、ヒマラヤにおける栗城のサポートを行っているボチボチトレック社のティカ・ラム・グルンは「C2まで6人のサポートが随伴した」と発言している<ref>[http://news.asiaone.com/news/world/japanese-climber-one-finger-ascend-everest-again-week AFP 2015年9月28日] 2015年エベレスト、2015年9月28日閲覧。</ref>。
 
また最後のエベレストへの単独無酸素アタックとなった2018年5月、本人の死亡を伝えるThe Himalayan Timesの速報<ref>[https://thehimalayantimes.com/nepal/japanese-climber-nobukazu-kuriki-found-dead-on-mt-everest/  Kuriki along with four Sherpa guides had headed to the higher camps to make the final summit push on Mt Everest.]The Himalayan Times</ref>において、シェルパ4人が同行していた旨が記載されている。
 
=== 無酸素について ===
*遥かなる頂 (2011年8月14日、[[テレビ東京]])<!--http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/newtitle/108680.html-->
* ザ・ノンフィクション 山のバカヤロー2 (2012年5月6日、フジテレビ)
* No Limit  終わらない挑戦 (2012年12月23日、NHK総合テレビ)<ref>[http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050078_00000  ノーリミット  終わらない挑戦  -  NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス]</ref>
*5度目のエベレストへ〜栗城史多 どん底からの挑戦〜(2016年1月4日、NHK総合テレビ)語り[[山本彩]]
 
 
{{デフォルトソート:くりき のふかす}}
[[Category:北海道出身の人物]]
[[Category:日本の登山家]]
[[category:吉本興業]]
[[Category:北海道出身の人物]]
[[Category:1982年生]]
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