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'''サッカーアルジェリア代表'''は、 [[アルジェリアサッカー連盟]](FAF)によって編成される[[アルジェリア]]の[[サッカー]]のナショナルチームである。愛称は'''Les Fennecs'''([[フランス語]]でデザートフォックス)愛称で知られる意味。)。ホームスタジアムは[[首都]][[アルジェ]]にある{{仮リンク|1962年7月5日スタジアム|en|Stade du 5 Juillet 1962}}であるが、実質的なホームスタジアムは[[ブリダ]]にある{{仮リンク|スタッド・ムスタファ・チャケ|en|Stade Mustapha Tchaker}}である。
 
== 概要 ==
初めてアルジェリア代表チームが結成されたのは[[1957年]]だが、[[国際Aマッチ]]と認められる試合に出たのは[[1963年]][[1月]]([[アルジェリア民主人民共和国]]独立の6ヶ月後)のことである。[[1958年]]~[[1962年]]の間は、[[サッカーアルジェリア民族解放戦線代表]]がアルジェリアの旧宗主国である[[フランス]]本土で活動しており、[[フランス政府]]によりアルジェリア代表としての活動を禁じられていたこともある。
 
1982年と1986年の[[FIFAワールドカップ]]に連続出場を果たした経験がある。[[1982 FIFAワールドカップ|1982年スペイン大会]]では1次リーグ初戦で[[サッカードイツ代表|西ドイツ]]を破る番狂わせを起こしたが、最終戦で西ドイツと[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]の談合試合により3チームとも2勝1敗で並び、アルジェリア得失点差で及ばず1次リーグで敗退となった。
 
その後、アルジェリアは[[1986 FIFAワールドカップ|1986年メキシコ大会]]の出場を最後に出場が遠ざかっていたが[[2010 FIFAワールドカップ|2010年南アフリカ大会]]に24年ぶりに出場した。初戦の[[サッカースロベニア代表|スロベニア]]戦は[[アブデル・カデル・ゲザル|ゲザル]]の退場やGKの[[ファウジ・シャウシ|シャウシ]]のファンブルなどで0-1で落としたが、第2戦の[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦はスコアレスドローで突破の可能性を残した。しかし、最終戦の[[サッカーアメリカ合衆国代表|アメリカ]]戦では[[ライス・エンボリ|エンボリ]]のスーパーセーブなどでスコアレスのままロスタイムを迎えたものの、[[ランドン・ドノバン]]からゴールを決められてしまい0-1で敗れ、グループリーグ突破とはならなかった。
 
[[2014 FIFAワールドカップ・アフリカ予選|2014年ブラジル大会]]では、[[2014 FIFAワールドカップ・アフリカ3次予選|アフリカ最終予選]]で[[サッカーブルキナファソ代表|ブルキナファソ]]を[[アウェーゴール]]の差で振り切り、2010年に続く連続出場を果たした。本大会では初戦の[[サッカーベルギー代表|ベルギー]]戦は1-2で敗れたが第2戦の[[サッカー韓国代表|韓国]]戦は4-2で勝利し、最終戦の[[サッカーロシア代表|ロシア]]戦は開始早々、先制される厳しい展開ながらも後半同点ゴールを決め、その後ロシアの猛攻を耐え切り引き分けグループ2位で初のベスト16進出を果たした。ラウンドオブ16ではドイツと対戦し延長戦の末敗れてベスト16で敗退したものの最後まで本大会で優勝したドイツを追い詰める健闘ぶりを見せた。
 
地元開催だった[[1990年]]の[[アフリカネイションズカップ1990|アフリカネイションズカップ]]で優勝したことがある。