「鶴山公園」の版間の差分

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===備中櫓===
本丸御殿の南に位置し、その名は森忠政の娘婿である田備中守長幸に由来すると伝えられている。
築城400年の記念事業として復元され、2005年(平成17年春から一般公開されている
<ref>『備中櫓復元整備基本計画書』津山市教育委員会</ref>。
 
===文学碑===
*鐘つかぬ里は何をか春のくれ [[松尾芭蕉]](1903年(明治36年設置)<ref name="IshiKoe">福田景門『石の声―みまさか文学碑―』美作観光連盟、2006年(三訂版)</ref>
*生ぬくきにほひみたせて山さくら 咲ききはまれば雨よふらしも [[尾上柴舟]](1954年(昭和29年設置)<ref name="IshiKoe"/>
*おのつからあゆみもおそくなりにけり さくら花さくのへのかよひち 直頼高(1978年(昭和53年設置 薬研堀前)<ref name="IshiKoe"/>
*秋風や城といふ名に石枯るる 大谷碧雲居(昭和53(1978年設置 薬研堀前)<ref name="IshiKoe"/>
*花屑にきのふけふなし苔の艶 大谷碧雲居(昭和53(1978年設置 鶴山塾前)<ref name="IshiKoe"/>
 
*おくられて来しを身ながらおくらるる 人の悲しさかへり見もせず [[棟方志功]](2005年(平成17年設置)<ref name="IshiKoe"/>
*津山なる城跡づたひさまよへど かのひとまさず雲流れつつ [[棟方志功]](平成17(2005年設置)<ref name="IshiKoe"/>
 
;津山文化センター前(鶴山公園の北西に隣接)
*佐保姫に合ふ靴をおく花の下 白石不舎(2012年(平成24年設置 文化センター前)
*花冷えの城の石崖手で叩く [[西東三鬼]](昭和53(1978年設置 文化センター前)<ref name="IshiKoe" />
 
===鶴山館===
1765年(明和2年(1765年)には五代藩主[[松平康哉]]の時代に[[津山藩]][[藩校]]として学問所が設けられた<ref name="藩物語津山藩">岩下哲典『津山藩』〈シリーズ藩物語〉現代書館、2017年、112-113頁</ref>。1870年(明治3年)には学問所から修道館に改称し、1871年(明治4年)の廃藩によって廃校となった<ref name="藩物語津山藩"/>。
 
その後は北条県立中学校の校舎、共立小学校の校舎、区務所、郡役所、幼稚園、私立学校、町立高等小学校、県立中学校、県立女学校などさまざまな組織がこの建物を使用したが、1904年(明治37年(1904年)に鶴山公園内に移築され、「鶴山館(かくざんかん)」と名付けられた。<ref>津山市史編さん委員会『津山市史 第七巻』津山市、1985年、217頁</ref>
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Tuyama-1311-1.jpg|thumb|鶴山館
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===鶴山城址碑===
1873年(明治6年(1873年)の廃城令により、城は撤去され、跡地は公売された。本丸や二の丸、三の丸跡には桑や茶が植えられ、この事態に遭遇した旧藩士たちが、この地が城であったことを後世に伝えるために、1877年(明治10年(1877年)本丸跡に「鶴山城址碑」を建立した。<ref>津山市史編さん委員会『津山市史 第六巻』津山市、1980年、281頁</ref>
 
==主な催し==