「南部煎餅」の版間の差分

(伝承など項目を整理、出典・参考文献等を追記)
明治・大正時代の時点で既に南部せんべいは北海道・東北六県で広く食べられていた。<ref>明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」(2002年八戸市) 418P「八戸小記」</ref>当時は麦粉に塩を加えて丸く焼くだけのもので非常にシンプルなものであった。明治時代以前は松の木を用いて焼いていたが、大正期には炭火でせんべいを焼くようになった。<ref>「明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」(2002年八戸市) 418P「八戸小記」</ref>
 
南部地方の[[八戸町]](現在の[[青森県]][[八戸市]])では明治10年代頃には煎餅店が140店あり、他の業種(呉服店67戸、米商58戸)を大きく上回っており、幅広く地域住民に食されていたことがうかがえる。<ref>「「明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」(2002年八戸市) 31P「陸奥国三戸郡大邑誌」</ref>また、煎餅店だけでなく、各家庭にも煎餅型が数個備えてあり、一般的に南部煎餅が焼かれていた。<ref>「新編八戸市史 民俗編」(2010年八戸市) 300P</ref>
 
== 関係食品 ==
匿名利用者