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'''機関投資家'''(きかんとうしか、{{lang-en|institutional investor}})とは、[[個人投資家]]らの拠出した巨額の資金を[[有価証券]](株式・債券)等で運用・管理する社団や[[法人]]である<ref name="chie2015">知恵蔵2015 熊井泰明 証券アナリスト / 2007年</ref><ref>株式公開用語辞典</ref><ref name="hokenkiso">保険基礎用語集</ref><ref>「機関投資家 初めてでもわかりやすい用語集 SMBC日興証券」</ref><ref name=baum />。保険会社、[[投資信託]]、[[信託銀行]]、[[投資顧問]]会社、年金基金など。[[財団]]もふくむ<ref name=baum>坂野幹夫 訳 『機関投資家と会社支配』 東洋経済新報社 1967年10月 35、60、142-147頁 (原書 D. J. Baum and N. B. Stiles, ''The Silent Partners - Institutional Investors and Corporate Control'', Syracuse University Press, New York, 1965.)</ref>。[[ビッグバン (金融市場)|ビッグバン]]を実現したり[[オフショア市場]]を開拓したりして、金融市場に[[グローバリゼーション|大きな存在感]]を示してきた<ref name="chie2015" />。
 
== 概要 ==
機関投資家は厳密に定義されない用語である。財団に対する寄付や政府系投資ファンドが運用する租税を、個人投資家の拠出した資金と言うには語義的に無理がある。したがって機関投資家という名詞は、個人でない組織としての投資家を広く指す。もっとも普通は、系列間で自己金融を志向する事業法人を含めない。なぜなら、機関投資家は[[社会的責任投資]]を通じて[[資本の自由化]]を達成しうるところに歴史的な特筆性があったからである。実際に目標を遂げた機関投資家の本質、国家単位の資本市場に連携して参加し恒常的貪欲[[独占]]力を行使存在きる、すなわち'''機関化'''できるという能力にあった。機関投資家に同族企業と公企業が買収・民営化されると浮動株が増える。金融が民主化されたように見えて、[[ユーロクリア]]や[[クリアストリーム]]を中心とする機関投資家の連携プレーは、個々の企業やナショナリズムから見た利益相反を既得権化している
 
機関投資家は政府や個人投資家の持分を大量に譲り受けて企業を買収する。これがもっとも単純な'''機関化'''である。[[マーケットメイク]]をふくむ社債の買収も、[[社外取締役]]または社外監査役を派遣するきっかけとなるので機関化である。単発の機関化は社会問題とならない。機関投資家は、自身が保有する資産の流動性を確保するために多くの手段を講じてきた。本来の[[自由通貨]]を排斥しながら[[管理通貨制度]]を開拓し、[[変動為替相場制]]と[[公開市場操作]]も導入した。各国証券取引市場をふくむ[[シャドー・バンキング・システム]]を構築した。機関投資家は世界の流動性を[[独占]]し、各国の政治・経済に干渉している。機関投資家は[[ユーロクリア]]や[[クリアストリーム]]を中心として相互に連携し、個々の企業やナショナリズムから見た[[利益相反]]を既得権化している。
 
== 生保と戦争 ==
機関投資家は、その名詞を与えられる以前に暗い過去を秘めている。[[生命保険]]をはじめとする各種の保険・年金基金・投資信託は、二度の世界大戦で[[総力戦]]の歯車となっていたのである<ref>山之内靖 他2名編 『総力戦と現代化』 柏書房 1995年 31頁</ref>。機関投資家は往々にして「[[投資ファンド|ファンド]]」と呼ばれるが、「ファンド」はかつて[[モーゲージ]]担保としての租税徴収権を指した<ref name=hyou>E.L.ハーグリーヴズ 『イギリス国債史』 新評論 1987年</ref>。その好例が、[[オスマン債務管理局]]の六間接税である。当時オスマン帝国にはイギリス系保険会社が著しく進出していた<ref>赤川元章 「第1次大戦前におけるオスマン帝国の対外的経済関係」 三田商学研究 24(6), 1982年2月28日 35頁</ref>。「ファンド」には国債を指す用法もあるが<ref name=hyou />、少なくともイギリス系保険会社はオスマン公債をかなり保有していた。そうでなければ、管理局ができる手前で内国債を迅速に買い集めたり、管理局ができた後で債権者として政治的影響力を示したりすることはできなかった。彼らは[[第一次世界大戦]]が始まると[[英国債]]も大量消化した<ref>代田純 『ロンドンの機関投資家と証券市場』 法律文化社 1995年 20頁</ref>。
 
また、債務管理局自身も償還のため運用利益を追求する機関投資家であった。
 
アメリカでは[[1907年恐慌]]のころ大銀行が生保を系列化して欧州に対する優位性を確立した。
 
そして、[[プルデンシャル・ファイナンシャル]]などが[[第二次世界大戦]]で[[米国債]]を消化した。
 
== 紳士の退場 ==
投信の発祥地英国に関するかぎり、1920年代の直接金融源は依然として個人投資家であった。保険にしても、インベストメント・トラストにしても、機関投資家の支配率は高が知れていた。しかし[[第二次世界大戦]]は戦中も戦後復興でも大衆貯蓄を総動員しなければ資金需要を満たすことができなかった。復興中は相続税が増税され、個人投資家は節税策として機関投資家へ資産を託すようになった。個人投資家は英国債の暴落でキャピタルロスを被っていたが、相続税を支払うことによって価格を支えたとしても、投信の「タコ足配当」に等しかった。結局イギリスは国内資本で復興資金需要をまかなうことができず、[[バークレイズ]]を一つの窓口とする欧米機関投資家の進出が必至となった。そこにあやかる形で[[ラザード]]を例とするマーチャント・バンカー([[:en:Merchant bank|merchant banker]])は機関投資家の人材を兼ねるようになり、エクイティ・ビジネスのような[[投資顧問]]業務をこなして収益を上げた。顕著な例は1888年発足した王立看護婦年金(Royal National Pension Fund for Nurses)である。この機関投資家において1959年時点、その経営陣にマーチャント・バンカーが勢ぞろいしていた。ハンブローズ(現[[ソジェン]])出身の会長を筆頭に、モルガン・グレンフェル(現[[ドイツ銀行]])とアンソニー・ギブズ(現[[HSBC]])から銀行家一人ずつと、[[エドムンド・ド・ロスチャイルド|エドムンド・レオポルド・ド・ロスチャイルド]]が重役として列席していたのである。<ref>代田純 『ロンドンの機関投資家と証券市場』 法律文化社 1995年 41-42、64-67、101頁</ref>
 
それからのイギリス経済は[[ビッグバン (金融市場)#モルガンの米国預託証券|セカンダリー・バンキング]]市場から機関化されていった。
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セカンダリー・バンキングは機関投資家の勝利であって、アメリカン・ナショナリズムのそれではなかった。
 
1932年、アメリカで[[ボーナスアーミー]]が反乱した。[[世界恐慌]]に窮した軍人が、法律で強制的に預託させられている年金を前倒しで支払うよう求めた事件であった。年金は機関投資家である。当時のアメリカ資本は[[ヤング案]]成立前から[[ヴァイマル共和政]]に貸し込んでいた。連合国に対しても[[世界恐慌#ニューディール始末|トマス附属書]]で債権回収の手を緩めていた。このトマス附属書は、[[JPモルガン]]のラッセル・レフィングウェル([[:en:Russell Cornell Leffingwell|Russell Cornell Leffingwell]])から賞賛された<ref>William E. Leuchtenburg, ''Franklin D. Roosevelt and the New Deal'', Harper & Row, 1963, pp.232-3.</ref>。[[IGファルベン]]と[[デュポン]]その他大勢の[[カルテル]]が十分に儲けてくれたら、賠償金で払い戻せるという計画だったのだろう。しかしライト・パットマン([[:en:Wright Patman|Wright Patman]])は財閥の[[独占]]と見抜いて、払い戻しを議会に働きかけた。その彼が1966-68年に膨大なデータを集めて財閥・保険・投信の独占経済をレポートしていたときである。もはや1940年投資会社法([[:en:Investment Company Act of 1940|Investment Company Act of 1940]])では独占を阻止できないと考えた議会が、独占事実の数々を示して機関投資家を厳しく批判し法改正を検討していた<ref>Investment company act amendments of 1967. : Hearings, Ninetieth Congress, first session, on H.R. 9510, H.R. 9511. Part1. p.798. ([https://catalog.hathitrust.org/Record/008466728 Read] by [[ハーティトラスト|HathiTrust]])</ref>。[[ジョン・Fロバート・ケネディ]]が射殺されて改正案は流れてしまい、アメリカの会社規制はディスクロージャー主体に落ち着いてしまった。以来、アメリカ経済は機関化の一途をたどった<ref>鎌田信男 [https://ci.nii.ac.jp/naid/110008606581 米国金融市場における機関化の帰結と日本への示唆] 現代経営経済研究 2(2), 35-61, 2008-03-31</ref>。
 
== MFと証券化 ==
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== 執事の仮面 ==
機関投資家は[[スチュワードシップ・コード]]に則り、投資先の企業統治に堂々と干渉している。そもそも企業統治は1970年代以降、アメリカで盛んに議論されてきた。1994年にアメリカ法律協会([[:en:American Law Institute|American Law Institute]])がALI原則(''Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations'')を公表した。[[マイケル・ミルケン]]らは逮捕されたが、ジャンク債に群がった機関投資家は企業統治に対して発言力を持ちつづけた{{Refnest|group=注釈|このころから投信勢力が全地方債に対する消化割合を増やして、2000年に3割を超えた<ref>[[連邦準備制度]]調べ("Flow of Funds Accounts of the United States")</ref>。}}。[[フランス]]では1995年ヴィエヌ(Vinot)報告書が、[[オランダ]]では1997年ペーテルス(Peters)報告書が、[[ベルギー]]では1998年カルドン(Cardon)報告書が、それぞれ提出された。[[ドイツ]]でも2000年に企業統治原則が打ち出され(German Corporate Governance Code){{Refnest|group=注釈|ドイツは1990年代から機関化されていた<ref>陳浩 [http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.24-2/10Chen.pdf ドイツのコーポレート・ガバナンスの変容と監査役会改革の課題] 立命館国際研究 24-2,October 2011, pp.241-268.</ref>。}}、更新をつづけている。[[カナダ]]では[[トロント証券取引所]]の企業統治報告書が1994年に出ている。[[オーストラリア]]では1993年ボッシュ([[:en:Henry Bosch|Bosch]])委員会報告書が、[[南アフリカ共和国]]では1994年キング報告書([[:en:King Report on Corporate Governance|King Report]])が、[[OECD]]では1999年に企業統治原則が、それぞれ公表されている。ちなみに、機関投資家同士は干渉せず助け合う([[AIG]]救済)。さて[[世界金融危機]]では、[[オリバー・ウィリアムソン]]と[[エリノア・オストロム]]が[[ノーベル経済学賞]]を受賞、[[ニューヨーク・タイムズ]]は[[新制度派経済学]]が認められたものと評した<ref>The New York Times, "An institutional economics prize", October 12, 2009, Retrieved May 26, 2018.</ref>。この分野は企業統治に応用されている
 
機関化された日本は、[[金融商品取引法]]における[[適格機関投資家]]などの金融規制緩和で機関投資家を優遇している。「金融商品取引法第二条に規定する定義に関する内閣府令」は[[年金積立金管理運用独立行政法人|GPIF]]などを含む適格機関投資家の範囲を示している。
 
== 州立銀行いじめ ==
[[ドイツ再統一]]後の1990年代から空前のM&Aブーム、株式ブーム、そして証券化ブームが起こり、[[ドイツ銀行]]がモルガン・グレンフェルとバンカーズ・トラストを買収したり、[[ドレスナー銀行]]がクラインワートを買収したりするようなことになった。業容の拡大先はニューヨークと似たり寄ったりで、すなわちM&A仲介や[[証券化]]という[[投資銀行]]業務と、それから投信というロールオーバーを展開したのである。ここで証券化というのは国債価格の安定性を基礎とする部分が大きいのであるが、そこで機関投資家は財政に干渉するのである。2005年7月18日、[[欧州委員会]]とその諮問委員会がドイツへ圧力をかけて公的債務保証を廃止させた。この保証は州立銀行([[:de:Landesbank|Landesbank]])に対して無制限に行われていた。州立銀行保有資産は国内金融機関総計の20%を占めていた。追い詰められた州立銀行は、証券化商品を買い込むような投資銀行業務をやったり、中東欧の機関化に手を貸したりするようになった。完全に大手民間銀行の後追いだった。[[世界金融危機]]で巨大な損失を計上した金融機関は、ヒポ・レアル・エステート([[:de:Hypo Real Estate|HRE]])や[[コメルツ銀行]]だけでなかった。[[預金供託金庫]]と提携していた{{仮リンク|バイエルン州立銀行|en|BayernLB|de| BayernLB }}もである。[[HSHノルトバンク]]も取りざたされた。これら大規模州立銀行は、金融市場安定化基金([[:en:SoFFin|SoFFin]])が膨大な公的資金を投入して救済した。欧州全銀は危機までに5100億ドルを資産担保コマーシャルペーパー導管に投資していたが、そのうちドイツ勢は1/4を占めていた。しかもその大部分が[[サブプライムローン]]市場に関するものであった。危機の直前、ドイツ銀行、[[ゴールドマン・サックス]]、[[モルガン・スタンレー]]、[[リーマン・ブラザーズ]]の4行は、サブプライムローン関係の[[債務担保証券]]をドイツの州立銀行に売りつけて難を逃れた。<ref>柴田徳太郎 『世界経済危機とその後の世界』 日本経済評論社 2016年 156-160頁</ref>
 
== ブレトンウッズ2.0 ==
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銀行だけが資産を売却したところで、効果は高が知れている。このドル高はユーロドル債の大量発行を主因とする。
 
かつて機関投資家は運用収益だけを目的とするなどと考えられていたが、それは資本が自由化されていなかったころの動態である。現在の機関投資家は[[ユーロ債]]によって資金を調達し、対象国の経済を通貨高で締め上げながら多様な方法で買収できるのである。'''国際化'''の犠牲となった通貨は時代順に挙げると、まずはUSドル(1960-70年代)、次にドイツ・マルクと日本円(1980-90年代)、それから[[人民元]](2000年代){{Refnest|group=注釈|中国は機関投資家の開拓した世界最大のエマージング市場([[:en:Emerging markets|Emerging markets]])である<ref>奥田宏 [http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8313184_po_okuda.pdf?contentNo=1&alternativeNo= エマージング市場の登場とドル体制 世界銀行の役割と機関投資] 立命館国際研究 13(2) 2000年12月 第3図</ref>。財政部のユーロ円債発行が突破口となった。}}、そしてスイス・フラン(2010年代)である<ref group=注釈>2015年1月15日、[[スイス国立銀行]]は相場上限を放棄した。スイス・フラン相場は一時、対ユーロで約30%急騰した。機関投資家の買い圧力は、ユーロ危機からの逃避という消極的動機と、外国で[[モーゲージ|住宅ローン]]を貸し付けるという積極的動機により生じた。後者は国際化と信用創造を兼ねて、恒常的にスイス・フランが流出する構造である。</ref>。国際化のプロセスには[[デリバティブ]]も関係して急激な相場変動がともなう。このときに外貨準備を流出させる国も出てくる([[アジア通貨危機]]){{Refnest|group=注釈|2003年6月、アジア債流動化のためアジアン・ボンド・ファンド(ABF)1号が投資信託として設定された。[[日銀]]が10%の1億ドルを外貨準備から拠出した<ref>竹内淳 [http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa200510b.pdf アジアの債券市場育成とアジアボンドファンド] 国際局 2005年10月</ref>。運用は[[国際決済銀行]]が対応した<ref>竹内淳 [https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2005/data/ron0510a.pdf アジアの債券市場育成とアジアボンドファンド](URLが前掲と異なる) 国際局 2005年10月</ref>。}}。このような外貨の流出は必ずしも保有国のカントリー・リスクに関係しない。なぜなら機関投資家は、そこで取得した通貨を発行国経済に投下するからである。強引な資金調達に遭ったマレーシアは、輸出をのばそうと無理に外資を呼び込んでスキャンダルにはまった([[1MDB]])。マレーシアは資本市場がすでに十分機関化されていたが、今や機関化された政権交代が起こるまでになった
 
== 財団という脇役 ==
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*[[年金基金]]<ref name="chie2015" />
*[[銀行]]<ref name="hokenkiso" />
*[[財団]]
*[[投資信託]]<ref name="hokenkiso" />
*[[共済組合]]<ref name="hokenkiso" />
*[[任意組合]]
*[[匿名組合]]
*[[金庫 (特殊法人)|金庫]]
*[[国際決済銀行]]
*[[世界銀行]]
*[[投資銀行]]
*[[投資法人]]
*[[投資事業有限責任組合]]
*[[投資事業組合]]
*[[投資事業有限責任組合]]
*[[証券会社]]
*[[投資ファンド]]
*[[投資信託]]<ref name="hokenkiso" />
*[[証券会社]]・[[投資銀行]]
*[[国際決済銀行]]
*[[国際開発金融機関]]
*[[リミテッド・パートナーシップ]]
*[[ソブリン・ウエルス・ファンド]](政府系投資ファンド)
*[[プラアウベー・エクイティ・ファンド]]
*[[財団系統中央機関]]
*[[政策金融機関]]
*[[宗教事業協会]]
*[[マフィア]]
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