「堀江芳介」の版間の差分

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[[山口県]]出身。[[戊辰戦争]]に従軍。[[1872年]][[1月16日]]([[明治4年]][[12月7日 (旧暦)|12月7日]])、陸軍[[中尉]]任官。[[1875年]](明治8年)6月、[[陸軍教導団]]次長に就任。[[1877年]](明治10年)3月、別働第2[[旅団]][[参謀長]]となり[[西南戦争]]に出征。[[1878年]](明治11年)11月、[[歩兵]][[大佐]]に進み、同年12月、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]管東局長に就任した。[[1880年]](明治13年)10月、[[近衛 (日本軍)|近衛局]]参謀長を兼務。
 
[[1883年]](明治16年)1月、[[陸軍戸山学校]]次長となり、同年2月、陸軍[[少将]]に昇進し同校校長に就任した。[[1885年]](明治18年)5月、[[近衛歩兵第1旅団]]長に転じた。[[月曜会事件 (日本陸軍)|月曜会]]事件により、[[1886年]](明治19年)7月、歩兵第6[[旅団]]長に転出し、同年8月、休職(欧州出張)となり、さらに[[1888年]](明治21年)12月、[[予備役]]に編入された。
 
[[1888年]](明治21年)11月、元老院議官に就任。[[1890年]](明治23年)7月の[[第1回衆議院議員総選挙]]に山口県第4区から出馬し当選。衆議院議員を一期務めた。1890年10月20日、[[錦鶏間祗候]]となる<ref>『官報』第2195号、明治23年10月22日。</ref>。さらに、[[阿月村]](現在[[柳井市]]阿月)[[市町村長|村長]]に就任。
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