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'''マヌエル・ポジャーリ''' ( ''Manuel Poggiali'', [[1983年]][[2月14日]] - ) は、[[サンマリノ]]出身の元[[モーターサイクル]]・[[ロードレース (オートバイ)|ロードレーサー]]。[[ロードレース世界選手権]]で{{MGP|2001}}125ccクラス、{{MGP|2003}}250ccクラスの2度のチャンピオンを獲得した。通算12勝・11[[ポールポジション]]、35回の表彰台<ref>{{cite news|url=http://www.twowheelsblog.com/post/603/manuel-poggiali-to-leave-racing-at-25-years-old|title=Manuel Poggiali to leave racing at 25 years old}}</ref>。
 
[[モチベーション]]の低下などメンタル面で苦しむことが多く、若くしてレーサーを引退することになった<ref>{{cite news|url=http://www.moto-live.com/motogp/en/headlines/news/detail/080827155843.shtml|title=Poggiali puts his racing career to an end}}</ref>。
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{{MGP|2003}}、ポジャーリは250ccクラスにステップアップすると、開幕戦[[鈴鹿サーキット|鈴鹿]]、次戦[[パキサ・フリーウェイ|ウェルコム]]といきなり2連勝。そのまま逃げ切って、[[フレディ・スペンサー]]、[[ジョン・コシンスキー]]、[[原田哲也]]に続く、250ccクラスデビューイヤーチャンピオンの偉業を成し遂げた。
 
{{MGP|2004}}も同クラスでタイトル防衛を目指すが、わずか3回の表彰台、シリーズ9位に沈んでしまう。{{MGP|2005}}は125ccクラスに戻るが、表彰台わずか1回の獲得、シリーズ10位と大不振に苦しむ<ref>{{cite news|url=http://motorsportthoughts.blogspot.com/2006/10/manuel-poggiali-very-modern-enigma.html|title=Manuel Poggiali - a very modern enigma}}</ref>。
 
{{MGP|2006}}は再び250ccクラスに戻り、レッドブル[[KTM (オートバイ)|KTM]]チームで[[青山博一]]のチームメイトを務めたが、青山がシーズン2勝・シリーズ4位と活躍する一方、ポジャーリはシリーズ14位に沈み、KTMとの契約はこの年限りとなった。{{MGP|2007}}は125cc、250cc、[[スーパーバイク世界選手権|スーパーバイク]]のチームからオファーがあったものの全てを断り、2008年により良いオファーが来ることを望んで1年間の休養を選択した。
 
{{MGP|2008}}は250ccクラスのカンペテーラ・レーシングで[[ファブリツィオ・ライ]]のチームメイトとしてレース復帰を果たした<ref>{{cite news|url=http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/mcn/2007/november/nov12-18/nov1907motogpmanuelpoggialitomake250gpcomebackin2008/?&R=EPI-97117|title=MotoGP: Manuel Poggiali to make 250GP comeback in 2008}}</ref>。しかしかつての輝きが戻ることはなく、モチベーションを失ったポジャーリはシーズン半ばでレーサー引退を発表した<ref>http://www.motogp.com/en/news/2008/Poggiali+comments+on+retirement+from+World+Championship</ref>。まだこのとき25歳の若さだった。
 
ポジャーリは[[サッカー]]選手としても活動しており、2008-2009シーズンはサンマリノのクラブチームである[[SSペンナロッサ]]に所属している<ref>http://www.pennarossa.com/squadra.htm</ref>。