「鶴山公園」の版間の差分

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|公式サイト = [http://www.tsuyamakan.jp/tour/detail/?pk=58 津山市観光協会公式サイト つやま小旅]
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'''鶴山公園'''(かくざんこうえん)は、[[津山市]]にある[[歴史公園]]である。[[明治]]の[[廃城令]]で民間に払い下げられていた[[津山城]]の中心部を当時の津山町が町有とし、[[1900年]](明治33年)に鶴山公園として公開した<ref>『岡山県大百科典 下巻』[[山陽新聞]]社、1980年、225頁「津山城」の項</ref>。'''津山城址鶴山公園'''ともいう。古地名としては「つるやま」だが、城の通称、および公園名は「かくざん」である。
 
==概要==
1873年(明治6年)の廃城令以降、桑畑と雑草の広がる荒地となっていた。1890年(明治23年)本丸西北にある腰巻櫓の石垣が崩落したことをうけ、津山城跡保存の機運が高まり、1891年(明治24年)には鶴山城址保存会が設立された。城内は国有地、県有地、私有地が混在し、同保存会は官有地拝借による保存を模索したが、許可を得ることができず、公園整備には至らなかった。津山町は用地問題の解決に向け土地の取得を続けるとともに、1899年(明治32年)には県有地が無償で払い下げられる。1899年(明治32年)から1900年(明治33年)にかけて残る一部の私有地についても取得が完了し、1900年(明治33年)春、津山町の管理のもと、鶴山公園が開園した。
鶴山公園の開園を機に、整備のあり方を検討する公園委員が津山町議会に組織され、1902年(明治35年)には牡丹桜と染井吉野などが試験的に植樹された。
その後、日露戦争の帰還兵が苗を寄付したことを契機として植樹が進み、1915年(大正4年)と1928年(昭和3年)の二度の御大典記念植樹で約2,000本の桜が植樹され、全山が桜で覆われるようになった。これらの植樹にあたっては、1905年(明治38年)に津山町議会に初当選を果たした福井純一が私財を投じるとともに寄付集めを行い、その中心的な役割を担った<ref name="津山城百聞録">『津山城百聞録』津山市、2009年、230-251頁</ref>
 
===沿革===
*1928年(昭和3年) 公園東側を中心に御大典記念植樹が行われた。
*1936年(昭和11年) 産業振興大博覧会開催。
*1955年(昭和30年) 津山市立動物園([[鶴山動物園]])を公園内三の丸に開設<ref>津山市史編さん委員会『津山市史 第七巻』津山市、1985年、年表10</ref>
*1963年(昭和38年) 国指定史跡となる。
*2005年(平成17年) 備中櫓(びっちゅうやぐら)の復元工事完成、一般公開される。
*2011年(平成23年) 市立鶴山動物園を老朽化のために閉鎖<ref>山陽新聞 2011年10月4日 24頁</ref>
*2017年(平成29年) 三の丸動物園跡地の愛称を「津山城つるまる広場」に定める<ref>津山朝日新聞 2017年11月24日 1頁、11月27日 1頁</ref>
 
==施設==
1765年(明和2年)には五代藩主[[松平康哉]]の時代に[[津山藩]][[藩校]]として学問所が設けられた<ref name="藩物語津山藩">岩下哲典『津山藩』〈シリーズ藩物語〉現代書館、2017年、112-113頁</ref>。1870年(明治3年)には学問所から修道館に改称し、1871年(明治4年)の廃藩によって廃校となった<ref name="藩物語津山藩"/>。
 
その後は北条県立中学校の校舎、共立小学校の校舎、区務所、郡役所、幼稚園、私立学校、町立高等小学校、県立中学校、県立女学校などさまざまな組織がこの建物を使用したが、1904年(明治37年)に鶴山公園内に移築され、「鶴山館(かくざんかん)」と名付けられた<ref>津山市史編さん委員会『津山市史 第七巻』津山市、1985年、217頁</ref>
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Tuyama-1311-1.jpg|thumb|鶴山館
 
===鶴山城址碑===
1873年(明治6年)の廃城令により、城は撤去され、跡地は公売された。本丸や二の丸、三の丸跡には桑や茶が植えられ、この事態に遭遇した旧藩士たちが、この地が城であったことを後世に伝えるために、1877年(明治10年)本丸跡に「鶴山城址碑」を建立した<ref>津山市史編さん委員会『津山市史 第六巻』津山市、1980年、281頁</ref>
 
==主な催し==
===過去に行われた催し===
[[File:博覧会余興の芸者衆 昭和11年.jpg|thumb|1936年の産業振興大博覧会]]
鶴山公園では過去3回[[博覧会]]が行われた<ref>『津山城百聞録』津山市、2009年、248-249頁</ref>
*1917年(大正6年)津山産業博覧会 会期4月20日-5月19日 
*1936年(昭和11年)産業振興大博覧会 会期3月26日-5月5日 国鉄姫津線(現在の[[姫新線]])開通を祝って開催された。この博覧会で[[姫路城]]天守閣をモデルとした模造天守(パビリオン)が建てられた。この模造天守は市民からは「張りぼて」の愛称で親しまれていたが、1945年(昭和20年)8月に解体された<ref>『津山市暮らしの便利帳』津山市、2009年、26頁</ref>。
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