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== 代数 ==
横綱のそれほど知られてはいないが、大関の地位でも江戸勧進相撲で初めて木版刷りの縦一枚番付が発行された[[1757年]](宝暦7年)10月場所の東大関である[[雪見山堅太夫]]を初代、西大関の[[白川関右エ門|白川関右衛門]]を2代目として、昇進順に代数が与えられている。最も新しい大関の[[高安晃栃ノ心剛史]]は247248代大関となる。
 
しかし、この中には、後に横綱に昇進した者や、実際に相撲を取らなかった[[看板大関]]も含まれていて、一般にはあまり用いられない。元々相撲興行の中心は大坂・京都であり、宝暦7年以前の番付についても[[元禄]]年間の頃からの番付が写本や板番付の形で50場所分近く残されている。たとえば、[[両國梶之助 (初代)]]、[[源氏山|源氏山住右衛門]]、[[谷風梶之助 (初代)]]、[[丸山権太左衛門]]、[[阿蘇ヶ嶽桐右衛門]]、[[鞍馬山鬼市]]、[[相引浦之助]]など、宝暦7年以前にも大関は存在しているが、名大関と云われる彼らは歴代大関には含まれていない。