「日米地位協定」の版間の差分

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=== 裁判権 ===
{{See also|在日米軍裁判権放棄密約事件}}
第17条5(C)により、日本で裁判を受けるべき被疑者であっても、アメリカが先にその身柄を拘束した場合は、身柄が引き渡されるのは[[検察庁]]により[[起訴]]がなされた後である。このため、起訴までの間に充分な捜査ができない。更には重罪にも拘らず身内の行為として不当に寛大な処分がされる恐れさえある(→[[軍法会議#軍法会議の問題点]])。

[[1956年]][[3月28日]]の[[日米合同委員会]]では、職場で飲酒した後の帰宅途中に事件事故を起こしても「公務中」とみなす取り決めが、同年10月28日の委員会裁判権分科委員会刑事部会会合では、第一次裁判権さえ放棄し実質的に重要であると認める事件についてのみ権利行使とする密約が結ばれていた事が後年に判明している。
 
これが如実に現れたのが、[[1974年]]の「[[伊江島]]住民狙撃事件」である。当初、在沖米軍は容疑者の“公務外”を認め、日本に一次裁判権を譲ったが、直後に[[アメリカ合衆国国務省|国務省]]・[[アメリカ国防総省|国防総省]]の強い反発と突き上げを受け、事件の概要を改変してまで急遽公務証明を発給し、日本外務省の抗議の中、一次裁判権を強引に移管させた。国務長官緊急電の『国務省・国防総省共同メッセージ』はその理由を「米国内の事情」と「もし裁判権を行使し損なったら、その影響は米国が他の国々と結んでいる一連の地位協定にまで及び、……米軍要員の士気にも及ぶ」ためであるとしている。
 
[[1995年]]には、[[アメリカ海兵隊]]の兵士3名が12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した。裁判自体は日本管轄で行われたものの、実行犯である3人が日本側に引き渡されなかったことが大きな問題になった([[沖縄米兵少女暴行事件]])。
 
[[2002年]]6月に沖縄で、窃盗容疑で逮捕された整備兵が「急使」(米軍の[[クーリエ]])の身分証を保持していたため、釈放され任意調べに切り替えられた事件<ref>協定のうち刑事裁判管轄権に関する合意事項第二の四: