削除された内容 追加された内容
93行目:
****'''疑'''(ぎ、{{lang-sa-short|vicikitsā}}、<small>ヴィチキッツァー</small>) - 「[[四諦]]」の真理に対してあれこれと思いまどうこと{{sfn|櫻部・上山|2006|p=111~116}}。
**'''心不相応行法'''(しんふそうおうぎょうほう、citta-viprayukta-saṃskāra dharma、チッタヴィプラユクタ・サンスカーラ・ダルマ)(14){{efn2|心不相応行法の各梵名は右の典拠による。[[村上明宏]]『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34509/rbb045-20-murakami.pdf 心不相応行法と無為法の関連性]』、駒澤大学仏教学部論集45 、2014年10月、p.388(127) )}}
***'''得'''(とく、{{lang-sa-short|prāpti}}、<small>プラープティ</small>)
***'''得'''(とく、{{lang-sa-short|prāpti}}、<small>プラープティ</small>) - ある[[有情]](存在)の身・心を構成する諸法や択滅・非択滅{{efn2|本項目の「無為法」を参照。}}を、その有情につなぎとめている働き。すべての瞬間には心および心作用のいくつかの[[法 (仏教)|法]]が[[倶生]](くしょう:ともに生起する)すると考えられているが、この「得」は、それら心・心作用が倶生の関係に結びついているところに生起する法と考えられている。
***'''非得'''(ひとく、{{lang-sa-short|aprāpti}}、<small>アプラープティ</small>), '''凡夫性'''(ぼんぶしょう)<ref>[[村上明宏]]『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34509/rbb045-20-murakami.pdf 心不相応行法と無為法の関連性]』、駒澤大学仏教学部論集45 、2014年10月、p.388(127) </ref> - 聖道の非得。<ref>[[村上明宏]]『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34509/rbb045-20-murakami.pdf 心不相応行法と無為法の関連性]』、駒澤大学仏教学部論集45 、2014年10月、p.380(135) </ref>
***'''非得'''(ひとく、{{lang-sa-short|aprāpti}}、<small>アプラープティ</small>) - 諸法のつながりを引き離すはたらき。得と逆作用をもつ[[法 (仏教)|法]](ダルマ)。
***'''同分'''(どうぶん、{{lang-sa-short|sabhāgatā}}、<small>サバーガター</small>) - [[有情]]の各類に共通な同類性。たとえば、それぞれの人にはすべて人として共通の、それぞれの牛にはすべて牛として共通の同類性があると考えられている。衆同分ともいう。
***'''無想定'''(むそうじょう、{{lang-sa-short|asaṃjñisamāpatti}}、<small>アサンジュニサマーパッティ</small>) - 無意識にまで至るほどな極度の精神集中。[[無想天]]に生まれることを真の解脱と誤解してそれを求める者が修する。