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[[ファイル:DH Comet 1 BOAC Heathrow 1953.jpg|thumb|300px|英国海外航空のコメットMk.I]]
'''コメット連続墜落事故'''(コメットれんぞくついらくじこ (''de Havilland Comet disasters''))は、[[1953年]]から[[1954年]]にかけ、世界最初の[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]である[[イギリス]]の[[デ・ハビランド DH.106 コメット|デ・ハビランド社製「コメット」Mk.I]]に連続して発生した、構造上の欠陥による[[航空事故]](空中爆発)の総称である。
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当時の気象は穏やかで、[[地中海]]の[[エルバ島]]上空 26,500 ft (8,077 m) を巡航中の781便は、続いてチャンピーノを離陸した同僚機の"アーゴノート"([[カナディア]]製[[ダグラス DC-4|DC-4]]、G-ALHJ)に上空の状況を伝えるため、無線交信を開始した。離陸から20分程しか経っていない9時52分 (UTC) 頃、781便の機長が"George How Jig, did you get my..."「ジョージ・ハウ・ジッグ、そちらにこちらの...」と言い掛けたところで途切れ、破裂音が通信記録として録音された。
 
事故現場から北西20km先の地点でこの瞬間を目撃した漁民は、爆発音の後バラバラになった残骸が炎や煙に包まれて海上に落下していったと証言した。乗員6名と乗客29名全員が(後述のように、7000m上空で機体が裂け、いきなり与圧がなくなり、肺や頭部に致命的ダメージが瞬時に加わったと思われる)したものと推測された。海上から15名の遺体と衣服、郵便袋などの浮遊していた遺留品が回収された(余談だがこの時の搭載郵便物が[[クラッシュカバー]]として何通か現存している)。
 
事故機の残骸は水深 150m の海底に沈んでいたが、原因究明のため通称「エルバ島作戦」とよばれる大規模な[[サルベージ]]が[[イギリス海軍]]によって行われ、機体の 65% が回収された。捜索を指揮した[[ルイス・マウントバッテン|マウントバッテン元帥]]は、現場周辺の漁民を総動員して謝礼を[[アメリカドル]]で支払ったため、軽度の国際問題に発展した(後述)。