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'''シルヴィ・ヴァルタン'''('''Sylvie Vartan''', [[1944年]][[8月15日]] - )はフランスの歌手で、ライヴ・ステージが定評のエンターテイナー。音楽レパートリーはロックからの他にジャズやバラードまで幅広い。[[ブルガリア]]生まれで8歳からフランス・パリ育ち。1961年リセ在学中の17歳でパリ・[[オランピア (パリ)|オランピア]]劇場に初出演。アメリカ音楽が台頭し始める中、ロック歌手としてデビューする一方で1964年「La plus belle pour aller danser」(邦題「アイドルを探せ」)が世界中で大ヒットした。以来70年・80年代のパリ公演ロングランと国内外での長期公演ツアー黄金期を経てコンスタ、ブラしに第一線で活動。定期的に新譜制作と発表や国内外で公演ツアー軸に活動している。2011年11月にステージ・キャリア50周年を迎えた。1984年からアメリカ在住。(ロサンゼルスとパリ半々の生活を送る)
 
== 略歴 ==
[[ファイル:Colibri-5.jpg|thumb|シルヴィ・ヴァルタン(写真左)2016年ソフィア - 母親の回想本のブルガリア語版刊行]]
2016年4月、約一世紀を生きた敬愛する母親(2007年逝去)の回想本を刊行。秋から2017年春まで2015年に好評だった主演コメディ演劇のフランス国内巡演。<br/>
本業の方は、2017年9月オランピア劇場公演、2018年3月16日と4月14日にグラン・レックス劇場で追加公演。また同月はブルガリアの2都市で、それぞれ4,000人の観客を前に熱唱し、相変わらず一段と心温かい拍手喝采を受ける。5月末から4年ぶりに日本公演をし、秋からフランス国内ツアーをする。<br/><br/>
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== 日本での成功 ==
日本の音楽シーンにおいては、100万枚以上を売上げた「'''アイドルを探せ'''」、「'''悲しみの兵士'''」、「'''あなたのとりこ'''」、「'''哀しみのシンフォニー '''」、「'''想い出のマリッツァ'''」、「'''愛の経験'''」、「'''アブラカダブラ'''」、「'''愛のかたち'''」、「'''ディスコ・クイーン'''」、「'''初恋のニコラ'''」等、1965年から1970年代に多くのヒットを放った。1965年5月、20歳の時に初来日。1970年代は北海道から沖縄まで過密日程にて3以来4週間に亘る全国ツアーを行った。70年代の長期全国公演ツアーの黄金期を経て2000年代現在までコンスタントに来日公演を開催。1970年代は頻繁に来日北海道から沖縄まで過密日程に3, 4週間に亘全国ツアーを行った
 
*1965年5月世界ツアーの一環で初来日し羽田空港には千人ものファンが殺到した。シルヴィは回想録(2004年フランス発売の自叙伝)の中で、フランスから遠い極東の国での成功・空港で制服姿の学生達が小さな旗を振って大歓迎する光景を見て驚いたと記している。当時の日本はまだ観光で訪れる人があまりいなかった時代でまた遠かったこともあり、アンカレッジ経由の飛行機の中はほとんどシルヴィ・ヴァルタン一行の貸切状態だった。羽田空港に到着直後には歓迎の横断幕「Bienvenue!! SYLVIE VARTAN」をバックにVictorレコード会社開催の記者会見に兄エディを伴って出席。エディ・ヴァルタン・オーケストラと共に約3週間の日本全国ツアーを行う。1995  (1995年発売「RCAスタジオ録音全集1961-1986」のブックレットに来日時の写真が1枚載っている、街中の人力車の上で女子高生に取囲まれて彼女等が満面の笑みで一斉に差しだす紙に嬉しそうにサインしている姿だ。20歳のシルヴィは公演の合間にショッピングを楽しみ、青山辺りで買った麻の仕立ての良い女の子のワンピースを大変に気に入っていたようで約40年間も大事にキープしていた。というのも、フランスや日本の雑誌インタヴューの中で2004年頃に一人娘のダリナ(当時7歳)に初めて着せたと話している
 
*1971年5月に6年ぶり2度目の来日、約一カ月のツアーでは[[ジャニス・ジョプリン]] の「[[ミー・アンド・ボビー・マギー]](Me and Bobby McGee)」、ビートルズ「[[ゲット・バック]](Get Back)」を披露。また滞在中に日本語でレコード録音、オリジナル曲「'''恋人時代'''」「'''女の時間'''」など見事な発音で歌い、レコード・ジャケットには「親日家」と評されている。「想い出のマリッツァ」「私のすべて」の日本語ヴァージョンも録音。73年にはクラシック・シャンソン、[[ジャック・ブレル]]の「行かないで(Ne me quitte pas)」を熱唱。78年は前年秋の壮大なパリ公演を持って更に華麗でダイナミックなダンスシーンを披露した。(2012年フランスRCAが発売するオリジナル41作品リマスター・レプリカ復刻限定盤CD全集「The Ultimate Collection」に1971年と73年日本公演ライヴ盤が初CD化され日本語曲5作がボーナストラックで収録される。)
*1978年は前年秋の壮大なパリ公演を持って更に華麗でダイナミックなダンスシーンを披露した。(2012年フランスRCAが発売するオリジナル41作品リマスター・レプリカ復刻限定盤CD全集「The Ultimate Collection」に1971年と73年日本公演ライヴ盤が初CD化され日本語曲5作がボーナストラックで収録される。)
 
*1985年には、前年にパリのシルヴィ・ヴァルタン・ダンススタジオを[[プランタン銀座]]に開いたこともあり、コカ・コーラ・ライトのCMに出演、同年発売の全曲英語アルバム「'''ダブル・エクスポジャー'''」収録曲「'''ライトな関係'''」が流れた。
 
*1992年6月、前年1月のパリ・パレ・デ・スポール公演を持って来日し2週間の日本全国ツアー。新譜「'''バルタン気質'''」から「'''セ・ファタル'''」「'''ロンドンに雨が降る'''」、また流暢な日本語で長々と挨拶し「この歌を勇気と希望を失わずに戦い続けているブルガリアの人々のために歌いたいと思います」と締めくくり、ア・カペラでブルガリア・フォルクロール「Moya Goro」を披露した。この歌はパリ公演の前年1990年10月([[東欧革命|東欧の共産体制が崩壊]]した翌年)のソフィア初公演で初めて歌っている。1995年6月には(2月のパリ公演後に)横浜フランス映画祭に主演作「L'Ange Noir(黒衣の天使)」(邦題:甘い媚薬)を持って団長として来日
 
*1995年6月には(2月のパリ公演後に)横浜フランス映画祭に主演作「L'Ange Noir(黒衣の天使)」(邦題:甘い媚薬)を持って団長として来日。
2000年に入って2005年と2008年にパリ・パレ・デ・コングレ公演を持って東京公演、新譜「'''永遠にあなたのとりこ〜愛しのシルヴィ'''」「'''ヌーヴェル・ヴァーグ'''」を披露し渋谷[[Bunkamura]]オーチャード・ホールは連日満員。新譜の他に2005年は1965年20歳の初来日で録音し放映されたレナウンのCM曲 「レナウン・ワンサカ娘」 をシャネル(ラガーフェルド)の白いワンピース・ドレス姿で初めてステージで披露した、このシーンはTV放映されている。(これは来日記念盤でもある2004年パリ公演DVD日本盤ボーナストラックだったことへの特別配慮と見える。)2008年には日本で1970年、1973年に大ヒットしたスタンダード曲、「悲しみの兵士」、「哀しみのシンフォニー」を約30年ぶりに披露。また日本到着日や翌朝にTV出演するなど精力的に活動。其々コンサート・プログラムが発行され、2005年の在仏ジャーナリスト・木立玲子の寄稿は哲学者ミッシェル・フーコーの言葉「プログレ・オン・ムーヴマン」の意外な連想で始まるがシルヴィ自叙伝(フランス2004年刊行のベストセラー)にまで触れながら分析、「一時代を印し、その存在自体が集団の記憶と化したアイドル歌手が、一人歩きしてしまった自分のイメージの罠に足をすくわれることなく新陳代謝し、前進し続けるのは容易な技ではない。しかしここに一人例外がいる。シルヴィ・バルタンである。歌手という職業を自分の手に取り戻す意志、客観性を備えていた。脱アイドル精神が、シルヴィ・バルタンというアイドルを時代を超えたアイドルに仕上げるという逆説。」また80年のフィガロ紙の記事を引用「彼女は、他人の視線を基準にして生きることの危険性をいち早く理解した」。2008年はフランス版プログラムの翻訳が一部載っていて47年のキャリア1961-2004年まで其々の年を振り返るシルヴィのコメントが記されている。
 
*2000年に入って2005年と2008年にパリ・パレ・デ・コングレ公演を持って東京公演、新譜「'''永遠にあなたのとりこ〜愛しのシルヴィ'''」「'''ヌーヴェル・ヴァーグ'''」を披露し渋谷[[Bunkamura]]オーチャード・ホールは連日満員。新譜の他に2005年は1965年20歳の初来日で録音し放映されたレナウンのCM曲 「レナウン・ワンサカ娘」 をシャネル(ラガーフェルド)の白いワンピース・ドレス姿で初めてステージで披露した、このシーンはTV放映されている。(これは来日記念盤でもある2004年パリ公演DVD日本盤ボーナストラックだったことへの特別配慮と見える。)2008年には日本で1970年、1973年に大ヒットしたスタンダード曲、「悲しみの兵士」、「哀しみのシンフォニー」を約30年ぶりに披露。また日本到着日や翌朝にTV出演するなど精力的に活動。其々コンサート・プログラムが発行され、2005年の在仏ジャーナリスト・木立玲子の寄稿は哲学者ミッシェル・フーコーの言葉「プログレ・オン・ムーヴマン」の意外な連想で始まるがシルヴィ自叙伝(フランス2004年刊行のベストセラー)にまで触れながら分析、「一時代を印し、その存在自体が集団の記憶と化したアイドル歌手が、一人歩きしてしまった自分のイメージの罠に足をすくわれることなく新陳代謝し、前進し続けるのは容易な技ではない。しかしここに一人例外がいる。シルヴィ・バルタンである。歌手という職業を自分の手に取り戻す意志、客観性を備えていた。脱アイドル精神が、シルヴィ・バルタンというアイドルを時代を超えたアイドルに仕上げるという逆説。」また80年のフィガロ紙の記事を引用「彼女は、他人の視線を基準にして生きることの危険性をいち早く理解した」。2008年はフランス版プログラムの翻訳が一部載っていて47年のキャリア1961-2004年まで其々の年を振り返るシルヴィのコメントが記されている。
2010年11月に2年ぶりに来日、在日フランス商工会議所の年次イヴェント・ガラ (GALA2010) に招待されてANAインターコンチネンタル・ホテルにて特別コンサートをする。フランス発売目前の最新ポップ・アルバム「Soleil Bleu(青い太陽)」から同名の新曲「Soleil Bleu」を作者の若きシンガー・ソングライターのジュリアン・ドレ (Julien Dore) とデュエット初披露した。2011年4月30日、パリ8区のクラシックコンサート・ホールのサル・ガヴォ ([[:fr:Salle Gaveau|Salle Gaveau]]) で開催された東日本大地震被災者支援チャリティー・コンサート「Tous en scène pour Japon」に出演。日本人演奏家も多く出演する中、65年日本でも大ヒットした「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)」、「La Maritza(想い出のマリッヅア)」そして最新アルバム「Soleil Bleu(ブルーの太陽)」から「Sous ordonnance des étoiles(星の処方箋)」の全3曲を歌った。<br/>2013年2月7日から11日にビルボード・ライヴ東京・大阪公演。65年のTVCM曲「ワンサカ娘」も披露し全15曲。最新盤から「Sous ordonnance des étoiles」(デュエット曲)や「Mon enfance」などクラシック・シャンソンも4曲、アンコールはブレルの「Quand on a que l'amour(愛しかない時)」。「そこにシルヴィの強烈な個性が塗り込められ、ステージには、現在進行形の世界レベルの「歌」が立ち上がった。「流行」を消費せず、「文化」にまで高めるお国柄に脱帽。」「デュエット曲では、アルチュール H(アッシュ)の録音と共演。芸歴50年以上にして進化を続ける姿をみせつける。」<ref>毎日新聞2013年2月14日付と2月20日付夕刊</ref><br/>
 
2014年4月16日から19日に日本発売されたばかりの新譜「シルヴィ・イン・ナッシュビル」を持ってビルボード・ライヴ東京・大阪公演。ロックな新作から8曲と「Let it be me (Je t'appartiens)」(ジルベール・ベコー)含む全15曲にフィナーレはヒット曲4曲のメドレー。滞在中のラジオ・インタヴュー<ref>Music&More 2014年4月30日深夜放送/FMコミュニティ・ラジオ</ref>で、これほど長い間現役で活動することが出来るそのモチベーションを保つ秘訣を聞かれて、「変化すること」「常に新しい事にチャレンジすること」 とシルヴィ。
*2010年11月に2年ぶりに来日、在日フランス商工会議所の年次イヴェント・ガラ (GALA2010) に招待されてANAインターコンチネンタル・ホテルにて特別コンサートをする。フランス発売目前の最新ポップ・アルバム「Soleil Bleu(青い太陽)」から同名の新曲「Soleil Bleu」を作者の若きシンガー・ソングライターのジュリアン・ドレ (Julien Dore) とデュエット初披露した。
2018年5月末からの日本公演直前の5月29日、NHK夜の生放送の歌番組「歌のコンシェルジュ」に出演し、2曲披露する。
 
*2011年4月30日、パリ8区のクラシックコンサート・ホールのサル・ガヴォ ([[:fr:Salle Gaveau|Salle Gaveau]]) で開催された東日本大地震被災者支援チャリティー・コンサート「Tous en scène pour Japon」に出演。日本人演奏家も多く出演する中、65年日本でも大ヒットした「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)」、「La Maritza(想い出のマリッヅア)」そして最新アルバム「Soleil Bleu(ブルーの太陽)」から「Sous ordonnance des étoiles(星の処方箋)」の全3曲を歌った。<br/>
2010年11月に2年ぶりに来日、在日フランス商工会議所の年次イヴェント・ガラ (GALA2010) に招待されてANAインターコンチネンタル・ホテルにて特別コンサートをする。フランス発売目前の最新ポップ・アルバム「Soleil Bleu(青い太陽)」から同名の新曲「Soleil Bleu」を作者の若きシンガー・ソングライターのジュリアン・ドレ (Julien Dore) とデュエット初披露した。2011年4月30日、パリ8区のクラシックコンサート・ホールのサル・ガヴォ ([[:fr:Salle Gaveau|Salle Gaveau]]) で開催された東日本大地震被災者支援チャリティー・コンサート「Tous en scène pour Japon」に出演。日本人演奏家も多く出演する中、65年日本でも大ヒットした「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)」、「La Maritza(想い出のマリッヅア)」そして最新アルバム「Soleil Bleu(ブルーの太陽)」から「Sous ordonnance des étoiles(星の処方箋)」の全3曲を歌った。<br/>*2013年2月7日から11日にビルボード・ライヴ東京・大阪公演。65年のTVCM曲「ワンサカ娘」も披露し全15曲。最新盤から「Sous ordonnance des étoiles」(デュエット曲)や「Mon enfance」などクラシック・シャンソンも4曲、アンコールはブレルの「Quand on a que l'amour(愛しかない時)」。「そこにシルヴィの強烈な個性が塗り込められ、ステージには、現在進行形の世界レベルの「歌」が立ち上がった。「流行」を消費せず、「文化」にまで高めるお国柄に脱帽。」「デュエット曲では、アルチュール H(アッシュ)の録音と共演。芸歴50年以上にして進化を続ける姿をみせつける。」<ref>毎日新聞2013年2月14日付と2月20日付夕刊</ref><br/>
*2014年4月16日から19日に日本発売されたばかりの新譜「シルヴィ・イン・ナッシュビル」を持ってビルボード・ライヴ東京・大阪公演。ロックな新作から8曲と「Let it be me (Je t'appartiens)」(ジルベール・ベコー)含む全15曲にフィナーレはヒット曲4曲のメドレー。滞在中のラジオ・インタヴュー<ref>Music&More 2014年4月30日深夜放送/FMコミュニティ・ラジオ</ref>で、これほど長い間現役で活動することが出来るそのモチベーションを保つ秘訣を聞かれて、「変化すること」「常に新しい事にチャレンジすること」 とシルヴィ。
 
*2018年5月末からの日本公演直前の5月29日、NHK夜の生放送の歌番組「歌のコンシェルジュ」に出演し、「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」の2曲披露する
 
=== 来日公演・日本全国公演ツアー ===
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