「レオポルド3世 (ベルギー王)」の版間の差分

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退位後のレオポルド3世はアマチュアの社会人類学者として世界中を旅した。[[セネガル]]を訪れた際にはフランスの非植民地化プロセスを激しく批判した。
 
1983年、ウォルウェ=サン=ランベールで死去した。[[ラーケン]]の聖母マリア[[ノートルダム・ド・ラーケン教会]]にアストリッド王妃と共に埋葬された。
 
== 家族 ==