「アルタ・カー・アンド・エンジニアリング・カンパニー」の版間の差分

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ボディワークやギアボックスの改良はその後の1949年、1950年に開発されたGP2、GP3で行われた。GP3には加えて2ステージのスーパーチャージャーが搭載された。それらは再び注文を受けて製作され、[[ジェフリー・クロスリー]]と[[ジョー・ケリー (レーサー)|ジョー・ケリー]]に供給された。クロスリーは[[1949年ベルギーグランプリ]]でGP2を使用したが、唯一7位に入ることができた。彼は1950年には[[モンテリ]]のサーキットの50マイル以上のコースで50kmと100kmのスピード記録を達成した。ケリーはアイルランドでのレースに集中し、最高位は1952年アルスター・トロフィーでの3位であった。両名とも[[1950年イギリスグランプリ]]に参加、これは初のF1グランプリへの参戦であったが、ケリーはフィニッシュしたものの完走扱いとはならなかった。クロスリーはトランスミッションのトラブルでリタイアとなった。
 
ケリーは後にGP3の大幅な改良とリビルを行い、[[アイリッシュ・レーシング・オートモビルズ]](IRA)の車として1952年と1953年に使用した。最も大きな変更はアルタ製エンジンに替えて[[ブリストル・カーズ|ブリストル]]製ユニットを搭載したことであった。
 
===アルタ・F2===
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==近年==
ジェフリー・テイラーは1966年に63歳で死去した。1976年に息子のマイケルは[[フォーミュラ・フォード]]用車両でアルタの名を復活しようとしたが、成功しなかった。戦前のスポーツカーやシングルシート車の一部は全てが私有車として現存している。元々[[ジョージ・アベカシス]]が所有していたGP101は、ヒルクライムカーとしてフィル・スクラッグのためにリビルされ、いまだ使用されている。F2/5は元のパワーユニットが再搭載され、1999年のグッドウッド・リバイバル・ミーティングを始めとする近年のヒストリックレースに参加している。
 
==F1での成績==