「アグリッパ・メネニウス・ラナトゥス (紀元前503年の執政官)」の版間の差分

(BOX追加や整形など)
==経歴==
===コンスルシップ===
紀元前503年、メネニウスは執政官に就任した。同僚は[[プブリウス・ポストゥミウス・トゥベルトゥス]]であった。歴史家[[ティトゥス・リウィウス]]([[紀元前59年]]頃 - [[17年]])によれば、この年、[[ラティウム同盟]]のポメティアとコラが離反し、[[ラティウム]]南東に居住するアウルンキ人についた。両執政官ともに[[ラティウム戦争]]の{{仮リンク|ポメティアの戦い|en|Battle of Pometia}}に勝利し、[[凱旋式]]が挙行されたとしている<ref>[[ティトゥス・リウィウス]], 『[[ローマ建国史]]』[[s:From the Founding of the City/Book 2#16|II. 16]], [[s:From the Founding of the City/Book 2#32|32]], [[s:From the Founding of the City/Book 2#33|33]].</ref>
 
一方、リウィウスとほぼ同時代人の[[ハリカルナッソスのディオニュシオス|ディオニュシオス]]によると、この年[[サビニ人]]が三度目のローマ侵攻を企て、まずトゥベルトゥスが繰り出したものの敵を侮り敗北した。そこへメネニウスが駆けつけ救援し、後日力を合わせて敵を打ち破り、メネニウスが凱旋式を、トゥベルトゥスが[[小凱旋式]]を挙行したとしている<ref>[[ハリカルナッソスのディオニュシオス|ディオニュシオス]],『ローマ古代誌』IV 44-47</ref>。