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また、[[2015年]](平成27年)5月場所を終えた[[照ノ富士春雄|照ノ富士]]は直前3場所が平幕込みで8勝-13勝-12勝(優勝)の合計33勝だったが、直前場所での幕内初優勝を果たした事が大関に相応しいと判断され、新大関となった<ref>[http://npn.co.jp/article/detail/23623240/ 照ノ富士が白鵬自滅でたなぼたの優勝 またも“時期尚早”の大関誕生へ(リアルライブ)]</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/1483806.html 照ノ富士の大関昇進に賛否も関脇優勝なら「妥当」]大相撲裏話(日刊スポーツ)2015年5月29日1時5分</ref>。なお大関昇進の3場所前が平幕の地位だったのは、[[1985年]](昭和60年)11月場所後の[[北尾光司|北尾]](のち横綱・双羽黒。前頭筆頭で12勝3敗)以来29年ぶりだが、3場所前が平幕で1桁勝ち星となると、[[1983年]](昭和58年)3月場所後の[[朝潮太郎 (4代)|朝潮 (4代)]](前頭筆頭で9勝6敗)以来の32年前までさかのぼる<ref>ただし、北尾(東前頭筆頭・12勝(優勝次点)-西関脇・11勝-東関脇・12勝(次点))・朝潮(東前頭筆頭・9勝-西関脇・14勝(優勝同点)-東関脇・12勝(優勝次点))共に、直前3場所の成績は合計35勝。</ref>。
 
[[2018年]](平成30年)5月場所を終えた[[栃ノ心剛史|栃ノ心]]では昇進3場所前は平幕だったが、この場所を含め直前3場所を14勝(優勝)-10勝-13勝の合計37勝を挙げた好成績が高く加味され、文句なしで大関昇進した。大関昇進の直前3場所の起点場所が平幕優勝だったのは、[[1976年]](昭和51年)9月場所の[[魁傑將晃|魁傑]](1977年1月場所後に大関再昇進)以来で、平成時代以降では栃ノ心が初めてであとなる。
 
但し、逆に昇進できなかった例としては、[[2002年]](平成14年)1月場所を終えた[[琴光喜啓司|琴光喜]]は13勝(優勝)-9勝-12勝の合計34勝だったが、昇進を見送られた。理由は、3場所前が前頭2枚目(13勝2敗で[[前頭#平幕で優勝した力士|平幕優勝]])だったこと、2場所前が9勝と1桁白星であったこと(平成以降の大関昇進者はほぼ2場所前は10勝以上)、また当時大関が4人もいたことが引っ掛かった。さらに大関取りが期待された同場所において3敗目を喫した内容があまりにも悪かったほか、自分より遥かに地位の低い前頭8枚目の[[武雄山喬義|武雄山]]に敗れた理由もあったといわれる。翌3月場所は直前3場所が9勝-12勝-8勝の計29勝に留まり琴光喜の大関取りは一旦消滅するも、5年後の[[2007年]](平成19年)7月場所後に悲願の大関昇進を達成した。