「FNSスーパースペシャルテレビ夢列島」の版間の差分

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1988年4月に鹿内春雄が死去したため、製作総指揮はこの年からフジテレビ会長に就任した義弟・[[鹿内宏明]]に交代した。
 
テーマは「結ぶ」。[[青函トンネル]]と[[瀬戸大橋]]が開通し日本が鉄道で繋がったため、[[JR]]旅客全6社が全面協力し[[東京六大学]]の鉄道研究会学生たちの監修のもと特別列車を走らせた。[[札幌駅]][[博多駅]]から数チームに分かれた芸能人・文化人(渡辺正行、小堺一機、関根勤、渡辺正行、[[海老一染之助・染太郎]]、山本晋也、[[林家正蔵 (9代目)|林家こぶ平]]ほか)が全国各地の中継駅を回って東京・河田町にあったフジテレビまで戻って来られるように日程を組んだ。
 
オープニングでは[[横浜スタジアム]]での[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]×[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦の模様を中継。[[中井美穂]]が初めてプロ野球の実況に挑戦した。
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FNS各系列局が探した『おもしろ人間』を3分間のVTRにまとめて紹介するコーナーが番組内に設けられた。福岡・[[テレビ西日本]]が紹介したおもしろ人間は複数いたが、その一人にテレビ西日本でケーブルさばきのアルバイトをしていた当時大学生の[[松村邦洋]]がいた。彼は17日夕方の『[[FNNスーパータイム|スーパータイムデラックス]]』にて福岡・[[西区 (福岡市)|小呂島]]からの中継で登場。中継の最後で海にダイブした。このとき中継のため小呂島へ行っていた片岡鶴太郎との出会いが芸能界に入るきっかけとなった。また、『スーパータイムデラックス』のパートでは当時『FNNスーパータイム』の週末キャスターを担当していた[[黒岩祐治]]が東京上空から中継リポーターを務めた。
 
CGキャラクターのネーミングを電話で募集し、'''『ノケゾリーナ』'''という名前に決まった。名付け親は当時小学生の栃木県在住の女小学生。しかし、このネーミング募集に電話が殺到し、電話回線がパンクしてしまうトラブルがあり、翌日の『笑っていいとも!増刊号 電リクスペシャル』で行う予定だった、電話リクエストが中止せざるを得ないという影響も出た
しかし、このネーミング募集に電話が殺到し、電話回線がパンクしてしまうトラブルがあり、翌日の『笑っていいとも!増刊号 電リクスペシャル』で行う予定だった、電話リクエストが中止せざるを得ないという影響も出た。
 
『ノケゾリーナ』と出演者の会話は、最初から番組内で出演者が話す言葉を脚本家が書き、その返答が描かれた紙をオペレーターが見て、音声合成装置にキーボードから入力するという方法が使われた。CGの動作は、丸型の携帯ラジオから内部の機械をすべて外して、動きを指示するためのボタンを付けたリモコンが使われた。リハーサル時にはCGシステムが故障するトラブルもあったが、本番では、予備のハードディスクを使うことで事なきを得た<ref>越川彰彦『CGクリエイターになるには』[[ぺりかん社]]〈なるにはBOOKS〉、1995年、32頁から34頁</ref>。
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中継駅に行った芸能人が「[[世界・食の祭典|北海道・食の祭典]]」や「[[アジア太平洋博覧会|よかトピア]]」などのコンパニオンガールからおみやげを受け取ったりするシーンが何度となくあった。
 
フィナーレでは、[[チャイルズ]]や松本明子が感極まって号泣したり、スタジオに持ってきたドジョウが飛び出すハプニングもある中、出演者たちの10秒前からのカウントダウンで幕を下ろした。
 
提供クレジットを読み上げた新人[[アナウンサー]]は[[青嶋達也]]・[[有賀さつき]]・[[河野景子]]・[[八木亜希子]]の男性1人、女性3人の合計4人。