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無類の[[格闘技]]好きであり、[[早稲田大学]]時代は[[相撲]]部の副主将を務めた。また[[日本相撲協会]]運営審議会委員に委嘱されて務めていた。その縁で[[日本プロレス|日本プロレスリング]]創始者の[[力道山|力道山光浩]]と親交があった。また日本初の[[プロボクシング]]世界王者の[[白井義男]]とは縁戚に当たり、白井が結婚した際には媒酌人を務めた。
 
その巨漢に違わず食欲は天下一品であった。[[早坂茂三]]によれば、[[東京タイムズ]]の政治記者だった[[早坂茂三]]は著書の中で、[[記者]]として浅沼の遊説に同行した際、記者団に用意された[[カツ丼]]が人数の倍も置かれており、これに気付いたある記者が「ヌマさん、他に大勢来るんですか?」と聞くと、既に60代だった浅沼が「えっ、君ら一つで足りるのかい?」と言い、カツ丼2杯、味噌汁、漬物を惜しげもなく平らげたと明かして<ref>早坂茂三『オヤジの知恵』 [[集英社インターナショナル]] [[1999年]]、p79</ref>{{要ページ番号|date=2018年2月}}
 
浅沼を暗殺した[[山口二矢]]は[[生長の家]]の思想の影響を受けていたとされるが、浅沼自身も生長の家の初代総裁である[[谷口雅春]]の支持者であった。谷口は「『生命の実相』の参業者である[[鳩山一郎]]と好一体」「生長の家は社会党に反対しているわけでも自民党に賛同しているわけでもない」と述べていた。