「良品計画」の版間の差分

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== 概要 ==
1970年代、[[量販店]]各社は[[プライベートブランド]](PB)の開発に取組んだ。1977年10月、[[西友]]はそれまでのPB商品を充実させるべく[[田中一光]]、[[小池一子]]の提案による「SEIYU LINE」をPBの総合[[ブランド]]して取り扱うことを決定した<ref>『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』p.161</ref>。その後にはそれら商品群をプロトタイプとして新たにラインナップを増やした上、田中の発案による英語のノーブランドグッズ (no brand goods) を和訳した「無印良品」をブランド名とし<ref>『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』p.164</ref>、西友のほか、[[西武百貨店]]や[[阪神百貨店]]内のインショップに加えて[[ファミリーマート]]等で販売を開始した<ref>『セゾンの挫折と再生』p.88</ref>。また1983年には[[青山 (東京都港区)|青山]]に路面店を出店。同店の内装には杉本貴志が関わった<ref>『デザインのデザイン』p.105</ref>。「わけあって安い」という当初のキャッチコピーは小池一子。
当時セゾングループ代表だった[[堤清二]]は企画立ち上げの経緯について、商品にブランド名が付くだけで価格が上昇する現象に疑問を持ち、ブランドを与えない事で価格を抑える方が消費者に喜ばれると考えたことが動機となったと述べ、発足当時には「無印良品」を「反体制(アンチブランド)商品」と呼んでいたと明かしている<ref>工藤雅人、北田暁大(編)『社会にとって趣味とは何か』<河出ブックス> 河出書房新社 2017年 ISBN 9784309625034 pp.209-210.</ref>。
 
1989年6月には、西友の100%[[子会社]]として[[株式会社|(株)]]良品計画を設立。1992年9月には西友の子会社で休眠状態であった魚力に良品計画を合併させ、魚力が良品計画に社名を変更した<ref>『セゾンの挫折と再生』p.90</ref>。