「トロッコファミリー号」の版間の差分

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[[image:ED182a.jpg|thumb|200px|right|トロッコファミリー号を牽引するED182(ED182(1992年・三河槙原駅)]]
'''トロッコファミリー号'''は、[[1987年]](昭和62年)から[[2006年]](平成18年)までの毎年[[春]]から[[秋]]にかけて[[飯田線]]の[[豊橋駅|豊橋]]~[[中部天竜駅|中部天竜]]を走っ運転されていた[[東海旅客鉄道]](JR東海)の[[トロッコ列車]]である。
 
[[1985年]](昭和60年)に[[長良川鉄道越美南線|越美南線]]で運転が開始された「清流ながら号」が、[[1986年]](昭和61年)の[[第三セクター鉄道]]転換によって国鉄車両が運転できなくなったことから、同列車用に用意されていた車両を風光明媚な飯田線南部に転用し、運転を開始したのが本列車である。
風光明媚な飯田線を[[機関車]]+[[客車]]([[国鉄12系客車|12系]])2両+[[トロッコ列車|トロッコ車両]](オハフ17形)2両編成の[[列車]]で走り、牽引する機関車は[[国鉄EF58形電気機関車|EF58]]とイギリス製の[[国鉄ED18形電気機関車|ED18]]とが担当していた。指定券1枚で客車とトロッコ車両のどちらでも座れるシステムになっており、トロッコ車両は[[豊川駅]]~中部天竜駅間で利用が可能であった。[[豊橋駅]]~豊川駅間は複線であり、列車のすれ違いの際危険であることから、トロッコ車両には立ち入ることが出来ないようになっていた。
 
==運転==
トロッコ車両のオハフ17形は[[荷物車]]([[カートレイン]]用のマニ44)を1993年と1996年に改造した客車である。形式の17は[[伊那谷|伊那]]を表わし、用途を示すものではない。これ以前に'''トロッコファミリー号'''に使われていたトロッコ車両は廃車となった。
[[急行料金]]等は不要であるが、全席指定の[[普通列車]]として設定され、[[座席指定券|指定券]]1枚で控車(客車)とトロッコ車両のどちらにも座れるシステムになっていた。[[佐久間ダム]]や[[1991年]]に中部天竜駅構内に開設された[[佐久間レールパーク]]や観光に便利なダイヤが設定され、トロッコ車両は豊川~中部天竜間で乗車可能であったが、豊橋~豊川間は[[複線]]であるため、列車のすれ違いの際危険であることから、トロッコ車両には立ち入ることができないようになっていた。
{{国鉄・JRの客車}}
 
沿線の自然を体感するための列車であることから低速のダイヤが設定され、景観の素晴らしい宇連川(板敷川)に沿う湯谷温泉~三河槙原間では、特に低速で運転された。列車の営業区間は中部天竜までであったが、車両はその先の[[水窪駅|水窪]]まで[[回送列車|回送]]のうえで折り返し作業を行なっていた(末期は中部天竜折り返し)ため、[[城西駅|城西]]~[[向市場駅|向市場]]間の通称「渡らずの鉄橋」を行くシーンなどもファンに提供した。
[[佐久間レールパーク]]や[[佐久間ダム]]観光に便利な列車であった。
 
===停車駅===
[[2006年]][[5月7日]]をもって運転終了となり、牽引機のひとつであったEF58 122も同時に引退している。
[[豊橋駅]] - [[豊川駅]] - [[新城駅]] - [[本長篠駅]] - [[湯谷温泉駅]] - [[三河槙原駅]] - [[中部天竜駅]]
 
====
運行開始当初は、[[国鉄トラ90000形貨車|トラ90000形無蓋貨車]]3両(91388,91402,91818)に簡易な座席と屋根、貫通路を設置したトロッコ車両を[[控車]][[国鉄43系客車|オハフ46形客車]]2両(2009,2027)がはさむ編成で、牽引機には、貨物営業末期の飯田線で貨物列車を牽引していた[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形ディーゼル機関車]]があてられた。
豊橋駅 - 豊川駅 - [[新城駅]] - [[本長篠駅]] - [[湯谷温泉駅]] - [[三河槙原駅]] - 中部天竜駅
 
[[1989年]](昭和63年)からは、列車としての魅力を高めるため、往年の本線用急行旅客機[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形電気機関車]]が牽引機に抜擢され、同形式の[[動態保存]]列車としての性格も帯びるようになった。JR東海[[静岡車両区|静岡運転所]]に所属する122号機と157号機が交代で牽引にあたり、この頃、両機が異なる塗色に塗られた(122号機が茶一色、157号機が青に前面警戒色)こともあって人気を集めた。[[1992年]](平成4年)からは、[[佐久間レールパーク]]の静態保存機から動態復元された[[イギリス]]製の[[国鉄ED18形電気機関車|ED18形電気機関車]](2号機)が牽引機に加わり、さらに魅力を増すことになった。
 
1992年には、控車の冷房化を図るため、控車のオハフ46形1両を[[国鉄12系客車|12系客車]]2両(スハフ12 31、オハ12 178)に置き換え、[[1993年]](平成5年)には、トロッコ車両の乗車定員増を図るため、パレット輸送用[[荷物車]][[国鉄50系客車|マニ44形]]を改造したオハフ17形(1)を増備してオハフ46形を置き換えた。これにより基本的な編成は、中部天竜方からスハフ12 - オハ12 - トラ90000×3 - オハフ17となったが、トラ90000形とオハフ17形を分割使用したり、オハフ46形を控車に使用したりするなどして、飯田線北部でもトロッコ列車を運転することができるようになった。
 
[[1996年]](平成8年)には、老朽化したトラ90000形の置換え用にオハフ17形(11)が改造製作され、控車がスハフ12形2両(31,104)に変更された。この時増備されたオハフ17 11は、車端部が両方とも貫通構造となっており、控車が電源装置を装備したスハフ12形2両となったこともあって、スハフ12形、オハフ17形各1両によるトロッコ列車の南部・北部同時設定にも対応することとされた。この際、4車種4様であった外板塗装を、青をベースに窓まわりクリーム色とし、腰板に"TROCCO FAMILY"のロゴを描いた統一的なものに変更した。編成は、中部天竜方からスハフ12 104 - スハフ12 31 - オハフ17 11 - オハフ17 1となり、この編成で2006年の運転終了まで使用された。
 
牽引機は、[[2005年]](平成17年)夏にED18 2が致命的な故障を起こして運用を離脱し、EF58形の2両体制となったが、さらにEF58 122が老朽化により運用を離脱することになり、残るEF58 157だけでは運用がまかなえなくなることから、2006年5月7日をもって運転終了となった。
 
[[Category:東海旅客鉄道|とろつこふあみりいこう]]