「三井三池炭鉱」の版間の差分

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== 閉山後 ==
[[File:Japan’s Meiji Industrial Revolution sites map Miike.svg|thumb|300px|[[明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業|明治日本の産業革命遺産]]に含まれる三池炭鉱の構成資産。]]
閉山後、炭鉱の坑口跡などが近代化遺産・産業遺産として、明治以来の日本の近代化の証として注目されはじめた。宮原坑跡および万田坑は1998年に国の[[重要文化財]]、2000年に国の[[史跡]]に指定され、宮浦坑跡の煙突と旧三川電鉄変電所は2000年に国の[[登録有形文化財]]に登録された。そのほかにも、炭鉱関連産業・石炭化学コンビナートの産業景観として[[三池港]](1908年開港、閘門施設、築港の際に活躍した蒸気動のクレーン船・大金剛丸、旧長崎税関三池支署)、[[三井港倶楽部]](現在、結婚式場・レストランとして存続)、[[三池鉄道|三池炭鉱専用鉄道跡]]([[三井化学]]専用鉄道として現有区間あり)、三井化学(株)大牟田工場など現在でも残る工場群、全廃したが一部雰囲気を残す社宅(炭住)跡を含め、総合的な石炭産業のあとを今でも見ることができる。
 
上記のようにいくつかの施設が保存・活用される一方で、閉山前後から所有者による諸施設の解体・撤去も進み、「社宅」と呼ばれた長屋形式の炭鉱住宅跡、炭鉱機械類の製作工場、三川坑の大部分の施設、三池炭鉱専用鉄道軌道、三池港で石炭を積載するローダ(特に、開発者である團琢磨の名を冠した「ダンクロ・ローダ」など)が次々と解体され、跡地に大型ショッピングモール等ができた。また、閉山時の人や資材の入昇坑口である有明坑跡は2006年3月、三井鉱山より民間会社に売却、その後メガソーラー(大規模太陽光発電所)の建設計画に伴い、2本の立坑櫓が2012年に解体されたほか、三井鉱山は三池炭鉱専用鉄道敷跡や人工島(初島・三池島)を大牟田市に無償譲渡の打診をしたが、保守管理費用コストや固定資産税減収によって更なる財政負担を伴う可能性が高いため、2008年3月29日、大牟田市は無償譲渡を断ったことが報道された。2009年4月1日、三井鉱山株式会社は日本コークス工業株式会社と改名し、大牟田市内に残る三井鉱山直系の三池炭鉱に関連した事業部から「三井」の文字が消滅した。
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* 旧三池集治監 外塀及び石垣
'''大牟田市指定有形文化財'''
* [[三井港倶楽部]]
 
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