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{{出典の明記|date=2012年12月}}
'''新作落語'''(しんさくらくご)、'''創作落語'''(そうさくらくご)は、日本の話芸のひとつで、[[古典落語]]に対して用いられる[[落語]]の分類である。現在では主に[[大正]]時代以降に創作された落語を指す{{要出典|date=2012年12月}}
 
明治期における[[三遊亭圓朝]]による「[[牡丹灯篭]]」「[[真景累ヶ淵]]」やオペラを翻案した「[[死神 (落語)|死神]]」、後に上方に伝わって昭和戦後期に「[[ぜんざい公社]]」となる「御膳しるこ」などをその嚆矢とすることができる。
 
==関東の新作落語==
関東の落語(江戸落語)では、明治期に[[三遊亭圓朝]]により「[[牡丹燈籠]]」「[[真景累ヶ淵]]」「[[死神]]」「[[鰍沢]]」など多くの落語が創作され、今日では古典の評価を受けている。圓朝の弟子の[[三遊亭圓遊#初代|初代三遊亭圓遊]]は「[[野ざらし]]」「[[船徳]]」などの旧来の古典を新しく再構成した。また小説家[[岡鬼太郎]]作の「[[意地くらべ]]」は3代目[[柳家小さん]]によって演じられ、同じく古典の評価を受けている。大正~昭和戦前期には[[益田太郎冠者]]作の「[[宗論 (落語)|宗論]]」・「[[堪忍袋]]」・「[[かんしゃく]]」、[[柳家金語楼]]の「落語家の兵隊」等の兵隊落語をはじめとして、[[三遊亭右女助|2代目桂右女助]](後の[[三升家小勝 (6代目)|6代目三升家小勝]])「水道のゴム屋」「操縦日記」、[[柳家権太楼 (初代)|初代柳家権太楼]]「[[猫と金魚]]」、[[柳家蝠丸|初代柳家蝠丸]]「[[女給の文]]」・「[[電車風景]]」、[[三遊亭圓歌 (2代目)|2代目三遊亭円歌]]「取次ぎ電話」、(俗に)初代[[昔々亭桃太郎]](金語楼の弟)「お好み床」、[[柳亭燕路|5代目柳亭燕路]]「抜け裏」などが作られた。純然たる新作ではないが、[[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]は「うどん屋」を「支那そば屋」に「[[掛取万歳|掛け取り万歳]]」を「掛け取り早慶戦」にそれぞれ現代風にアレンジした。
 
戦中期には、さまざまな戦時色の濃い作品が作られたが、戦後[[三遊亭金馬 (3代目)|3代目三遊亭金馬]]の「防空演習」、2代目円歌の「木炭車」ぐらいが残る程度であとはほとんど消滅した。[[終戦]]直後には、[[三遊亭歌笑#3代目|3代目三遊亭歌笑]]が文芸風のパロディを基本に戦後の風景をスケッチした「純情詩集」を発表して戦後の新作落語のスタートを切った。また[[鈴々舎馬風#4代目(自称9代目)|4代目鈴々舎馬風]]が「[[蔵前駕籠]]」をアレンジした「蔵前トラック」なる怪作を作っている。特に[[1941年]]10月に古典落語が[[禁演落語]]で禁じられるようになってからは多くの新作が生まれた。
 
戦後期の落語ブームでは、[[古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生]]、[[三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生]]のような古典至上主義といった風潮や、[[久保田万太郎]]・[[安藤鶴夫]]師弟による徹底的に新作落語を否定し、新作落語中心の落語家を過激に攻撃する落語評論が席巻し、[[ホール落語]]で古典がもっぱら口演されることとなり、新作落語は押される。
 
この中でも、古典落語も出来たときは新作だという持論を持ち'''新作落語の闘将'''と呼ばれた[[古今亭今輔 (5代目)|5代目古今亭今輔]]「青空おばあさん」「ラーメン屋」「印鑑証明」「バスガール」(多くが[[柳家金語楼]]=有崎勉、作)や、その後継者の[[桂米丸 (4代目)|4代目桂米丸]]「宝石病」「電車風景」、3代目[[三遊亭圓右]]「銀婚式」「日蓮記」「寿限無その後」の他、[[春風亭柳昇|5代目春風亭柳昇]]「結婚式風景」「[[日照権]]」「与太郎戦記」、[[柳亭痴楽|4代目柳亭痴楽]]「痴楽綴り方教室」「幽霊タクシー」等。[[落語協会]]では、[[林家三平 (初代)|初代林家三平]]「源氏物語」(未完)や[[三遊亭圓歌 (3代目)|2代目三遊亭歌奴]]「[[中沢家の人々]]」「授業中」「浪曲社長」、[[柳家つばめ (5代目)|5代目柳家つばめ]]「佐藤栄作の正体」・「笑いの研究」のような俊英が新作派としての保塁を守った。一方では[[桂文治 (9代目)|9代目桂文治]]「大蔵次官」(作者は[[桂文治 (10代目)|10代目桂文治]]の父親である[[柳家蝠丸|初代柳家蝠丸]])、[[柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さん]]真二つ」(」(作者は[[男はつらいよ]]で有名な[[山田洋次]])、6代目圓生「心の灯火」「水神」、[[林家彦六|8代目林家正蔵]]「笠と赤い風車」「ステテコ誕生」「年枝の怪談」、[[桂三木助  (3代目)|3代目桂三木助]]「[[ねずみ (落語)|ねずみ]]」など、本格的古典落語の師匠連にも優れた新作落語の演目があった。そんな中[[1962年]]米丸・圓右・柳昇・三平・歌奴に[[三遊亭金馬 (4代目)|三遊亭小金馬]]を加えた6名が新作のネタおろしを目的とする「[[創作落語会]]」を結成し翌[[1963年]]には[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]奨励賞を受賞している。
 
==関西の新作落語==
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1970年代後半から80年代。新作落語に対する圧力者であった久保田・安藤師弟が相次いでこの世を去って10年以上過ぎたが、新作落語は古典落語の形式を踏襲したり、現代を舞台に置きながらも「背広を着た[[熊五郎|熊さん]][[八五郎|八っあん]]」と揶揄されたように古典落語の枠組みから出ない形式のもので、創作活動もマンネリズムに陥っていた。
 
それを打破すべく、斬新な感覚で創作する落語家たちが現れる。先駆けとなったのは、1980年の[[三遊亭圓丈]]作「パニック・イン・落語界」であった。大阪の[[吉本興業]]が東京に進出して[[落語協会]]、[[落語芸術協会|芸術協会]]を破壊していくというナンセンスなストーリーであるが、奇抜な発想と機知に富んだ内容で寄席ファンに驚きをもって迎えられたのである。以後圓丈は「パパラギ」・「いたちの留吉」・「グリコ少年」・「肥辰一代記」などの傑作を発表する。他に、[[川柳川柳]]「ガーコン(歌で綴る太平洋戦史)」・「ジャズ息子」、桂三枝(現・[[桂文枝 (6代目)|6代目桂文枝]])「[[ゴルフ夜明け前]]」・「ぼやき酒屋」・「妻の旅行」、[[鈴々舎馬風|5代目鈴々舎馬風]]「会長への道」、[[三遊亭歌之介]]「寿の春」・「田畑くん」・「お父さんのハンディ」・「B型人間」・「爆笑龍馬伝」などの新作が生まれ、ベテランでは[[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]「後引き酒」、[[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]]「茶漬えんま」等一連の創作活動がさかんとなる。現在は[[春風亭昇太]]、[[柳家喬太郎]]、[[三遊亭白鳥]]、[[林家彦いち]]、上方では[[笑福亭仁智]]、[[桂花團治 (3代目)|3代目桂花團治]](旧名:桂蝶六)らにより発展を続けている。
 
2004(2004年(平成16)16、前述の昇太、喬太郎、白鳥、彦いち、[[講談]]の[[神田山陽 (3代目)|3代目神田山陽]]らが創作落語の研究サークル「[[SWA (話芸集団)|SWA]]」(創作話芸アソシエーション)を結成、東京のみならず大阪で公演し、次世代の創作落語の中心として注目を集めている。
 
2015年以降の第2次平成落語ブームと時を同じくして、若手真打や二つ目にも主に新作落語を演じる落語家が多く出現している。落語協会では[[古今亭志ん八]]、[[古今亭駒次]]、[[三遊亭粋歌]]、落語芸術協会では[[瀧川鯉八]]、[[春風亭昇々]]、立川流では[[立川吉笑]]らがいる。彼らは成金や渋谷らくごに多く出演する傍ら、雑誌やテレビ、ラジオなどのメディアへの露出も多く、次代の新作落語の担い手として注目されている。
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==地噺==
新作落語には{{読み仮名|'''地噺'''|じばなし}}と呼ばれるフリートーク形式のものがあり、これらは[[漫談]]と同一視される。また、この場合は枕(落語の導入部)の延長と捉えられる物もある。古典派の噺家の中にも正月の特別興行<ref>{{読み仮名|初席|はつせき}} </ref>など時間の関係でこの類の噺を演じる事がある(例 [[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]の「[[とんち教室]]裏話」、[[笑福亭松之助|2代目笑福亭松之助]]「テレビアラカルト」、[[林家木久扇]]「[[彦六伝]]」・「[[昭和芸能史]]」や[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]]の「[[山田吾一]]」等)。また、自身のフリートークを再構成して一本の噺を作り上げる[[笑福亭鶴瓶]](「鶴瓶噺」)の例もある。
 
==代表的な落語作家==